コラム

ガイジンと東京人の不思議な英会話ダンス

2013年10月02日(水)08時35分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

〔9月24日号掲載〕

 夏の初めに、地ビール店のカウンターに座ってビールを注文したときのこと。隣にいた中年カップルの声が小さくなった。こっそり私のほうを見た2人は、東京でしょっちゅう耳にするあのセリフを口にした。「英語、全然できない!」

 こういう場面に出くわすと、私は家電量販店の店員が腕にしている「アイ・スピーク・イングリッシュ!」と書かれた腕章を着けた気分になる。もっとも私がそこにいるだけで、そんな小声のセリフが聞こえてくるのだから、そんな腕章は必要ないのだが。

 東京の人のほとんどが自分は英語を話せないと言うが、実際にはしゃべれる人が少なくない。カウンターで隣にいた女性だって、ニューヨークに行ったら英語でビールを注文できるだろう。

 本当は英語を話せる人と日本語で話していると、微妙な駆け引きが始まる。それは英語に切り替える準備段階としての「会話のダンス」のようなものだ。

 その儀式はこういう段取りで行われる。まず、日本語で天気の話などする。それから出身地や、東京にいる理由などを聞かれる。そうしているうちに、相手は英単語を1つ2つ、会話に交ぜ始める。ちょうど水に飛び込む前に、ちょっとずつ体に水をかけてみるように。そこで私は彼らのヒントに反応して、英語で何か質問してみる。ほら! そこから会話は英語に切り替わるのだ。

 英会話の始まり方としては、昔に比べるとずいぶん洗練されてきたといえる。かつては酔っぱらったサラリーマンが私の箸の使い方にお世辞を言うところから、英語での会話が始まることが多かった。

 当時はよく、全然知らない人たちに英会話の実験台にされた。彼らは教科書に書いてあるとおりに話し掛けてきた。その頃に比べると、最近の東京の人たちはずいぶん英語が上手になった。
先日、粗大ごみの回収を頼むために市役所に電話したとき、電話に出た女性はすぐに流暢な英語に切り替えてくれた。私の日本語の語彙が、粗大ごみについて詳しく話すほどではなかったからだ。

■何語でもいい、会話を楽しもう

 何のきっかけもなく、相手が突然、英語に切り替えてくるときもある。「若い頃にアフリカに住んでいた」とか、「ロンドンのレストランで10年間働いていた」という具合に。そして会話は進んでいくのだが、私はちょっと不思議に思う。そもそも、彼らはどうして最初に日本語で話し掛けてきたのだろう。

 電車の中で高校生が英単語の勉強をしていたりすると、面白いことが起こる。勉強に疲れた学生はふと顔を上げ、私を見てギョッとする。なんと、英語を話す外人が目の前にいるからだ。まさか、魔法でこの本の中から飛び出したのか......。

 「こういう人と話すために、単語を覚えているんだろうか」と、彼らは自問しているように見える。私は時には厳格な顔で見詰める。いいから勉強を続けるんだとばかりに。だが、優しく日本語で言葉を掛けることもある。「頑張って!」。彼らはうなずき、顔を赤らめる。

 高校生ならまだしも、日本人はなぜ英語で話すことをためらうのか。どうして、双方がコミュニケーションできそうな言語でいきなり話し始めないのだろう。

 それでも少しずつ東京は多言語都市になりつつあるのかもしれない。最近の政府統計によれば、日本に住む外国人は198万人で、その20%近く(38万人)は東京にいる。海外からの観光客も今年7月、過去最高の100万人を記録した。

 東京は会話の飛び交う街だ。双方の理解できる言語で行われる会話はもっと増えていく。私はこれからも英会話から逃れることはできない。とはいうものの、英語での会話を避けたいと思ったこともない。どの言語だっていい。とにかく私は、東京のちょっとした会話が大好きなのだから。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story