コラム

村上春樹でなく莫言がノーベル賞でよかった訳

2012年11月20日(火)15時57分

今週のコラムニスト:李小牧

〔11月14日号掲載〕

 ご存じのとおり、今年のノーベル文学賞はわが中国の作家、莫言(モー・イエン)に決まった。直前のイギリスの賭け会社のオッズでは日本の村上春樹が1位で莫言は3位だったというから、予想を覆す大逆転だ。

 とはいえ、日本に24年間住み、この国を第二の故郷として愛する私としては、日本を代表する作家を蹴落として中国人の莫言が受賞することには複雑な感情もある。村上のベストセラー『1Q84』だってちゃんと買ってある(まだ読んでいないが)。 

 人民日報や新華社通信などの共産党の宣伝に忙しいメディアは、中国人にとっての快挙を「ほぼ」手放しで喜んでいた。まったくの手放しでないのは、莫言の受賞が「中国国籍の中国人がノーベル文学賞を受賞するのは初めて」と、実にややこしい説明をしなければいけない事情が物語る。

 ノーベル文学賞を取った「中国人」は莫言が初めてでなく、89年の天安門事件を見て中国政府に愛想を尽かし、フランス国籍に変えた高行健(カオ・シンチエン)が00年に受賞している。さらに中国政府が中国人だと言い張るチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が89年に、民主活動家の劉暁波(リウ・シアオポー)が10年にそれぞれノーベル平和賞を受賞している。

 どれも国民を弾圧する中国政府を批判する意味合いだったから、今回のケースに中国政府がはしゃぐ理由もよく分かる。ただ、莫言の受賞は中国国内の特に文化人の間ではそれほど評価されていない。

 ノーベル文学賞が決まるちょうどその時期、私は北京に滞在して有名映画監督らと会っていたのだが、宴会の席で彼らはしきりに「中国にはもっといい文学作品がある」と言っていた。もちろん嫉妬もあるだろう。ただ、彼らが批判的なのは、莫言がかつて人民解放軍の軍人で、現在は中国政府と極めて関係の近い中国作家協会の副主席を務める「体制側」の人間と考えられているからだ。

 もちろん、彼らが莫言をよく思わない理由は理解できる。だが歌舞伎町案内人に言わせれば、今回の授賞はノーベル賞選考委員会の実に巧妙な「陰謀」だ。

 まず、いったん受賞が決まってしまえば、中国政府はあからさまに民主活動家や少数民族を弾圧することができなくなる。授賞式までにそんなことをすれば、国際社会から非難の大合唱が起きて賞自体が取りやめになりかねないからだ。

 さらに、中国政府は「ノーベル賞作家様」に基本的に物が言えなくなる。現に莫言は受賞決定後、「劉暁波はできるだけ早く釈放されるべきだ」と発言して、中国政府の度肝を抜いた。だがノーベル賞が「人質」になっているから、中国政府は彼に露骨に手が出せない。ノーベル賞選考委員会は、莫言が必ずしも体制に従順でないことを見透かして今回の授賞を決めたのだろう。実に賢明だ。

■歌舞伎町で学んだ「妥協の美学」

 私は今月末、中国のマイクロブログ微博を取材したノンフィクション『中国を変えた最強メディア 微博(ウェイボー)の衝撃』(阪急コミュニケーションズ刊)を出版する。昨年の高速鉄道事故や、今年の重慶スキャンダルで市民メディアとして大活躍した微博だが、「検閲権限を握っている当局が都合のいい情報を流させているだけ」という批判もある。

 ただ私が1年以上微博を取材して感じるのは、かつて「壁新聞」しか手段のなかった中国国民が直接、即時に発信できるメディアとしての可能性だ。微博は確実に中国人の自由を広げている。物事は「ゼロか100か」ではない。妥協も悪ではない。私はこのことを歌舞伎町での戦いの日々から学んだ。警察ともヤクザとも100%敵対するだけではダメ。そういう意味で莫言と微博は同じだ。

 日本人にとっては残念なことだが、今回のノーベル文学賞は莫言が受賞することに大きな意味があった。選考委員会にノーベル平和賞をあげたいぐらいだ。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ユーロ圏第3四半期GDP、前期比+0.3%に上方修

ワールド

米、欧州主導のNATO防衛に2027年の期限設定=

ビジネス

中国の航空大手、日本便キャンセル無料を来年3月まで

ビジネス

金融政策の具体的手法は日銀に、適切な運営期待=城内
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 2
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させられる「イスラエルの良心」と「世界で最も倫理的な軍隊」への憂い
  • 3
    高市首相「台湾有事」発言の重大さを分かってほしい
  • 4
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 5
    「ボタン閉めろ...」元モデルの「密着レギンス×前開…
  • 6
    左手にゴルフクラブを握ったまま、茂みに向かって...…
  • 7
    ロシアはすでに戦争準備段階――ポーランド軍トップが…
  • 8
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 9
    「ロシアは欧州との戦いに備えている」――プーチン発…
  • 10
    主食は「放射能」...チェルノブイリ原発事故現場の立…
  • 1
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 2
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 3
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 4
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 5
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 6
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 7
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 8
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 9
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 10
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 6
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 7
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story