コラム
東京に住む外国人によるリレーコラムTOKYO EYE
遺骨発掘の現場で感じた「戦争の記憶」
今週のコラムニスト:レジス・アルノー
戸山という地名は、私にとって特別な意味がある。
私は1949年からある都営戸山ハイツアパートの目の前に住んでいる。高度経済成長期の理想の公営集合住宅だったアパートの周囲には、年配者がゲートボールを、子供が野球を楽しむ戸山公園がある。ここは長女が自転車の乗り方を覚えた場所。次女の保育園は国立国際医療センター戸山病院の隣にあった。
それだけに、戸山公園の付近で戦時中の捕虜とみられる人骨の発掘調査が始まったという新聞報道はショックだった。この地域では89年に大量の人骨が発見された。今回調査を開始したのは、第二次大戦中に軍医学校の看護師だった石井さんが、45年8月15日の日本降伏後の数週間に無数の遺体や人骨を埋める手伝いをしたと06年に証言した場所だ。発掘される人骨は、有名な「731部隊」による恐るべき人体実験の被験者だった可能性がある。
この報道を読んだ直後、私は自転車で戸山付近を回ってみた。東京の空は真っ青に澄んでいて、公園は制服制帽姿の生徒たちであふれていた。先生が咲き始めた梅を見せるために連れ出したのだ。きれいな花をよく見てくださいと、先生は言った。
その数百・先からは、クレーン車が人骨を掘り出す音が聞こえてきた。
次に近くの病院や診療所へ向かった。医師や看護師は、その瞬間も患者の命を救おうとしていた。医師たちは紀元前4世紀から「何よりもまず患者に害を与えない」という医師の倫理綱領(ヒポクラテスの誓い)に従ってきた。
■戦争の「記憶喪失」に陥る日本人
だが戸山周辺には、ナチスの医者たちと同じようにヒポクラテスの誓いに背いて、日本人医師が行った人体実験の「副産物」が埋まっているかもしれない。
私は次女の卒園式の会場として使われた国立国際医療研究センター病院に入った。病院には、2つの記念物が保管されている。高名な軍医でもあった森鷗外が使っていたデスクと、54年にアメリカの水爆実験で「死の灰」を浴びた漁船、第五福竜丸の模型だ。被曝した漁師たちはここで治療を受けた。
病院のすぐそばにある財務省若松住宅横の公園は、石井さんが人体標本を埋めたと証言した場所だ。「愚行と無知の公園」とでも呼ぶべきだろうか。
そこには子供が遊ぶ姿はない。今のところ、日本政府はこの公園の調査に無関心だ。そこから徒歩10分ほどの場所には、731部隊で最もおぞましい人物の1人である部隊長、石井四郎陸軍軍医中将の遺骨が納められた美しい寺がある。
フランスには、「蛇は花の下に隠れる」ということわざがある。1932~45年に戸山地域で何があったのか──はっきりしているのは、私の目にはその答えが見えないということだ。
菅直人首相は昨年12月に硫黄島を視察し、「一粒一粒の砂まで確かめる」と戦没者の遺骨収集を約束した。一方、戸山での発掘調査は厚生労働省による例外的な措置だ。国が招いたかもしれない恐ろしい真実の追求は、今も日本政府や首相ではなく、声を上げた少数のボランティアや公務員によって行われている。
ヨーロッパでは第二次大戦の話になるとさまざまな記憶を引き出し過ぎることが問題になるが、日本は「記憶喪失」に陥る。それでも、日本人以上に真摯に過去と向き合う人たちはいない。人間同士の「義理」ということについて、日本ほど深く考える文化はほかにない。
日本の刑法制度は自白に重きを置いていて、過ちの告白は贖罪と将来の許しにつながる。銀行の行員や工場の労働者はすべての人的ミスに対し、ヨーロッパではあり得ないほどの責任を感じる。
私は戸山で起きたことの真実を知らないが、1つだけ確かなことがある。石井十世さんは結局、看護師の姿をした「勇敢な日本兵」だったのだ。
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