コラム

危険すぎる東京の「自転車天国」

2010年11月21日(日)13時06分

今週のコラムニスト:クォン・ヨンソク

・日本人はルールをよく守り、相手を配慮し遠慮がちだ。
・日本人は命と健康を大事にし、危機管理に関しても過剰なくらい敏感である。
・日本は世界で最も安全志向が強く、実際にとても安全な社会である。

 これらは日本の常識であり世界の日本に対する常識だ。しかし、この常識を覆す事例が一つだけある。最近の日本における「自転車・歩行者天国」ぶりだ。

 歩道を歩いたり車を運転していて気づくことだが、近年、極めて危険な乗り方をする自転車ライダーが増えてきている。まず、自転車の性能の向上に伴い、以前よりもスピードが断然早くなった。自転車の衝突事故による人身事故も頻繁に起きている。歩道を走る自転車が「どけどけ」といわんばかりにベルを鳴らすが、まったくもって不届きだ。

 走り方においても、車道の脇を申し訳なさそうに絶妙なテクニックで運転し、「謙譲の美徳」を見せていた日本人ライダーだが、近年では車が迫ってきても避けようとしなかったり蛇行運転をする場合も多い。さらに危ないのは、傘さしはもちろん、実に多くの人が携帯電話をかけたり、ヘッドフォンで音楽を聞きながら走行していることだ。

 ルールを守らない場合も多い。信号無視は日常茶飯事で、平気で車道を横切る。一番危ないのは狭い路地における「止まれ」という一時停止の指示に従わないで、そのまま突っ込んでくる自転車も多いことだ。

 これは10代の男子に多いのだが、車が左右を確認して曲がろうとする際に、背後(死角になる場所)から猛スピードで極めて危険な割り込みをする場合もある。運転する側は肝を冷やすのだが、彼らは何かゲームにでもクリアしたかのように颯爽と立ち去って行く。警告のためにクラクションを鳴らしても、本人の耳は白のヘッドフォンで塞がっていた。

 幼児を乗せたママチャリも、ユネスコから子供の人権侵害だと指摘されかねない。自転車の前後に幼児を載せた3人乗りも多く、あるママはさらに赤ちゃんをおんぶしながらの4人乗りも敢行していた。もしも、転倒でもしたらどうするというのだ。

「危機管理」と「安全」を信奉する日本人が、なぜ自転車に対してはこうも無頓着なのだろうか。それでいて日本は安全だと信じる一方で、新型インフルエンザが怖い、ノロ・ウイルスが怖い、中国産が怖い、テポドンが怖い、テロが怖いといっているのだからわけがわからない。

■ミサイルより身近な自転車の危険

 歩行者のあり方も様変わりした。僕は最初に日本に来た際、日本は歩行者優先の国だと教えられた。韓国は車優先なので歩行者が気をつけなければならないが、日本では車の方が譲ってくれる。これこそ先進国だと感心したものだ。

 歩行者優先文化は素晴らしいが、最近は歩行者がそれをあまりに当然視し、市民としてのマナーに欠けるような場合も多い。駅前にはなぜか信号機のない横断歩道が多々あるが、そのような場合、歩行者や自転車は途切れなく渡ってくる。車がずっと待っていて通ることができなくても、車のことはまったく気にしない。ようやく歩行者の列が切れて横切ろうとすると自転車が猛スピードで渡ってきては、運転手をキッと睨む。これらは、自転車同様、自己中心主義と「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な集団意識を想起させる。

 狭い路地を歩く際も、車が通れなくても平気で群れて歩く。横断歩道を渡る時も信号が赤に変わったのに小走りの素振りすら見せない。自転車同様、携帯をいじったり音楽を聞いている場合も多い。そのことが原因で命でも落としたら何と虚しいことだろう。これでは、以前の日本の枠組みとの間のギャップ(ずれ)から事故が起こりやすい。また、このストレス社会において運転手の過失・暴走がないとも限らない。

 このような見方は僕だけかと思って確認のためにタクシーの運転手にも意見を聞いてみた。世間の意見を推し量る上でタクシーの運ちゃんのつぶやきほど便利で的確ものはない(少なくとも、韓国では長年そう思われている)。すると、待ってましたと言わんばかりに賛同した。運転手さんは、最近では電動アシスト付きのママチャリが多く、前後に小さな子供を載せたママチャリが20kmを超えて走るのは極めて危険だと言っていた。

 これまで日本社会は自転車に極めて寛大な自転車社会だったといえる。確かに、日本の自転車文化はすばらしかった。わきまえた乗り方が多く、正面に何かが立ち現われると、するりと自転車から降りるあの「おばちゃん乗り方」は、まさに芸術だった(最近は、これもあまり見かけない)。

 だが、一方で自転車に対する「曖昧さ」と「甘えの構造」は、ある意味従来の日本社会の象徴そのものでもあった。あらゆる分野において「曖昧さ」と「甘え」が通用した時代はよかった。しかし、時代が変化し他の分野同様、これまで機能してきた日本型システムは制度疲労を見せている。とりわけ、自転車に対する徹底したルールづくりとその周知は緊要な課題だ。

 北朝鮮のミサイルや中国の軍事力だけが、日本人の安全を脅かしているのではない。ナショナル・セキュリティ(国家安全保障)の観点ではなく、「人間の安全保障」という観点に立てば、国や自治体は交通安全対策にもっと真摯に取り組む必要があるのではないか。日本が再び軍国主義にでもならない限り、日本に住む人が他国からの軍事的な攻撃により身体に損害を被る確率よりも、交通事故の被害に会う確率の方が絶対高いと断言できる。

 ようやく東京都は条例を定め自転車についてのルールづくりに乗り出したが、まだ実効を上げているとはいえない。自転車専用車線を設けたり、市民にもっと注意喚起と教育が必要といえるだろう。このままでは、日本の安全保障政策は、巨額な防衛費と思いやり予算を費やすだけで、日常生活の安全は確保されず、「頭隠して尻隠さず」状況になってしまう。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

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