コラム

「チラ見」と「横目」で東京はもっと楽しい

2009年07月07日(火)12時56分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

 初めて東京へ来た頃、夜になるといつも目が痛かった。家に帰ると、目の筋肉がずきずきとうずく。目薬を買い、眼科で調べてもらい、暗いところで本を読まないようにしたが、よくならない。いったい、なぜこんなに目が痛いんだろう?

 しばらくたってようやく原因に気付いた。私の「周辺視野」に問題があったんだ!

 西欧人の私は、なんでも正面から見ることに慣れていた。まっすぐな大通り、開放的な広場、左右対称の建物、広い歩道。欧米の街並みは直視し、正面から見据えるためにある。

 だが、東京は横目で見る街だ。次々に通り過ぎる人や物のイメージを目の隅でしっかり捉え、流れ去るにまかす。この東京人ならではの視覚的スキルなしに、東京を味わうことはできない。名付けて「東京的横目遣い」だ。

 東京的横目遣いの大切さを理解した私は、こっそりこんな実験をしてみた。

 混雑する新宿駅の南口で人波と逆方向に歩きながら突然、足を速める。すると、向こうからやって来る人は自分が歩くスピードを調節し、私とぶつからないようにした。何度やっても、彼らは周辺視野を駆使して優雅に身をかわす。毎日、数百万人が数百万人とすれ違う東京で正面衝突する人はほとんどいない。それもこれも「東京的横目遣い」のおかげだろう。

 このレーダーの感度は抜群。どんな角度からも対象をキャッチする。私が追い越そうとする人は、どのタイミングで道を譲るかをちゃんと把握しているみたいだ。それも、一度も振り返らずに!

 たいていの人は耳にイヤホンをしているが、いつエスカレーターの左側へ寄るか、いつ電車の奥へ詰めるべきかをきちんと察知している。私は驚きっぱなしだった。

 彼らは頭の後ろに目が付いているのか、第6感を持っているのか。いや、今では分かる。これは、たゆまぬ訓練で鍛えた周辺視野のなせる業なのだ。

■ラーメン店は横目が飛び交うコミュニティー

 東京的横目遣いは歩くときだけでなく、立ったり座ったりしたまま周りをうかがうときの手段にもなる。

 吉祥寺にあるお気に入りのラーメン店で、私はカウンターに並ぶ客が横目でこちらを見ているのに気付く。私が店に入ったとき、彼らは目の隅で外国人であることを見て取ったのだろう。麺やスープを口に運びながら、私のラーメンの食べ方をチェックする。ここには、横目が飛び交うコミュニティーがある。

 電車に乗れば、周りの人が私をちらちら見て、何を読んでいるかを確かめる。彼らは「チラ見」で読書を中断しては、何事もなかったようにまた読書に戻る。

 東京的横目遣いの中でも難易度が高いのが、携帯メールを打ちながら、ちらっと見ることだ。横目を使いつつ、文章を打ち、メールを読む。目の機能を3つ同時に使用する高度な技だ。

 見たいものが電車の窓に映らない位置にあるときは、身を乗り出したり深く腰掛けたりしてもっとよく見える角度を探す。窓の外を眺めているふりをしながら、視野の範囲内にあるものをあれこれ横目で見る方法もある。チラ見はビリヤードと同じ。角度を心得ることが大切だ。

 マラソン選手にも負けないトレーニングで目の筋肉を鍛えた私は今や、いつでも東京的横目遣いができる。とくに、きれいな女性がいるときには。

 私の中のアメリカ男は「ほら見ろ! いい女だぞ!」とささやく。とはいえ、こちらは東京暮らしが長い。そんな声には耳を貸さず、スパイのように横目で見る。1回見るたびに目に焼き付けた映像を寄せ集め、彼女の全体像を思い描く。うまくいけば、じっと見つめるのに負けないくらい満足できる。

■「直視できない文化」の欲求不満を横目が解消

 ただ残念なことに、東京の女性は私など及びもつかない横目遣いの達人だ。私が横目で見ていることはいつだってお見通しらしい。顔を背けたり携帯電話で顔を隠したり、わざと顔の前に髪を垂らすこともある。1回か2回ならチラ見に成功するが、たいていはそれでおしまい。眼鏡でなくコンタクトレンズにすれば、もっとよく横目で見られるかもしれない。それとも、もっと訓練を積むべきなのか。

 東京的横目遣いは、東京生活に潜む矛盾の1つを解決する手段でもある。日本の伝統文化では、相手を直視するのはマナー違反どころか失礼に当たる。日本人は世界で最も目を合わせない国民だ。見ることではなく見ないことで、敬意や感情を表現する。

 だが一方で、東京は目を引きつける磁石のような都市だ。ここには、見るべきものがあり過ぎる! 現れては消える驚きの光景をじっくり見たいのに、じっと見ることは許されない。伝統的な礼儀作法とのぞき見したがる都会人的な欲望の間の緊張は、東京的横目遣いにしか解消できない。見たいという欲求も、礼儀正しくなければという気持ちも、横目が満たしてくれる。

 来日したころは、東京人はいつも下を向いていると思ったものだ。でも東京的横目遣いの存在を知り、彼らがいつも回りを観察していることに気付いた。正面からではなく、素早く、ちらっと横目で。

 ありがたいことに、私の目はもう痛くならない。何年も鍛え続けたおかげで、次々に流れていくぼんやりしたイメージや情報を、東京的横目遣いで取り込めるようになった。ほんの一部を楽しむだけでいい。実際、まじまじと見詰めれば、視線の対象は消滅するか前とは別のものになる。きれいな女性であれ何であれ。

 東京はいわば「だまし絵」。横目遣いの達人でなければ、その豊かな魅力を存分に捉えることはできない。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

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