コラム
酒井啓子中東徒然日記
アラブ・サミットで見られた湾岸諸国の亀裂
国家のトップが結集する首脳会議を開催するということは、国威発揚、外交面での手腕発揮の場と考えて、どの国も晴れがましく思うものだ。ましてや、初めての主催国となれば、さぞかし誇らしいに違いない。だが、3月25-26日に開催された第25回アラブ連盟サミットを、はじめて引き受けたクウェートにとっては、実に頭の痛いことだったろう。
シリア内戦やエジプトの内政不安など、難問山積なのに、開催一ヶ月前になって、お膝元のペルシア湾岸諸国で深刻な対立が発生した。サウディアラビアとカタールが、ムスリム同胞団への対応を巡って、真っ向から衝突したのである。サウディアラビアにはUAEやバハレーンが同調し、3月5日にはこれら三国が、カタールから大使を引き上げる措置を取るに至った。
サウディを中心としたアラビア半島の王制・首長制の小国は、イラン革命でイスラーム政権を樹立したイランを仮想敵国として、1981年以来GCCという集団安全保障機構のもとに結束してきた。それが今、大きく揺らいでいる。
もともと、カタールはサウディの湾岸地域でのリーダーシップを面白く思ってこなかった。1996年に衛星放送「アルジャジーラ」を開設し、当時のアラブ諸国のどこもが避けてきた、生々しい報道番組や自由闊達な政治討論を放映して、アラブ社会を驚愕させた。オスロ合意後にイスラエル通商代表部を開設したのも(ただし2009年に閉鎖)、アラブ諸国で最も保守的なサウディアラビアに対する不敵な挑戦だった。
サウディにとって、不愉快な隣の小国がどうにも我慢ならなくなった最大の原因は、「アラブの春」を巡る対応である。特にカタールがムスリム同胞団を積極的に支援していることが、サウディとしては看過できない。2013年7月、エジプトで同胞団主導のムルスィー政権が、軍のクーデタによって倒されたとき、サウディは軍主導の新政権を全面的に支援したが、カタールは同胞団を弾圧するエジプト軍を、手厳しく批判した。
業を煮やしたサウディは、昨年11月、GCCの会合で「GCC諸国の治安と安定を脅かす者や、悪意のあるメディアを支援しない」との合意を加盟国内で取り付けた。しかし、カタールが一向にこの合意に従わない、というので、上に述べた「大使召還」に至ったのである。2月はじめにはサウディは、ムスリム同胞団対策を想定して「テロに反対する王国令」を発出し、さまざまなイスラーム主義集団との対決姿勢を強めている。
サミットでは、「カタールを巡る問題はGCCの問題であってアラブ諸国全体のことではない」と、クウェート外務省が火種を回避しようとする一方で、当のカタールのタミーム首長は自らサミットに乗り込み、エジプトの新政府に対してはむろんのこと、イラクに対しても「スンナ派住民が疎外されていてけしからん」と気炎を吐いた。それを見越してか、サウディ、モロッコ、アルジェリア、イラクなど、そうそうたる主要国は元首級を派遣せず、皇太子か外相級の参加にとどまった。
しかしながら、GCCのほつれは、必ずしもカタールとサウディの分裂にみられるだけではない。カタールの問題が深刻化する前は、サウディにとっての喉元の魚の小骨はバハレーンだった。以前このコラムでも紹介したが(2012年4月、バハレーン紀行(1〜3))、バハレーンの住民の多数を占めるシーア派の動向、特にその民主化要求運動は、サウディが最も危惧することである。そのバハレーンで「アラブの春」が起き、バハレーン王制の安定性に黄色信号が灯ったことで、サウディはこれを機会にバハレーンを統合してしまえ、と考えた。そしてその後は、いっそのことGCC全体を統合してはどうか、という議論が交わされるようになった。ペルシア湾岸ではないが、ヨルダン、モロッコなど他の王国も加えて、「アラブの春」に象徴される民主化やイランを中心とするシーア派の台頭に対抗するための、保守派大同盟を作ろうとの案も、しばしば浮上する。
だが、GCC統合案には真っ先にオマーンが反対した。オマーンもまた、サウディと微妙なライバル関係にある。ホルムズ海峡を挟んでイランと対峙するオマーンは、80年代以来、イランと決定的に角突き合わせることを避けてきた。そのため、昨年11月に米政権がイランとの関係改善に動いたときにも、オマーンがその仲介役を果たしたのだ。これは、サウディの神経を逆撫でしたに違いない。
その他のGCC加盟国も、サウディと一心同体というわけにはいかない。アラブ・サミット開催国として心を砕いたクウェートも、GCCがヨルダンを加盟させるならそれはイヤだ、と考えている。
サウディアラビアにとってアラビア半島の国々は、ある意味でサウディ建国期に「征服」し損ねた国々だった。だが、アラビア半島で政治的、経済的に圧倒的に優位にあったサウディアラビアが親分風を吹かせることができる時代は、すでに過去のものとなっている。
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