コラム
酒井啓子中東徒然日記
アラブ版「ええじゃないか」踊り
世界中で、というだけあって、中東でも大ヒットしている。欧米発信の動画の多くではかなりセクシーな映像が溢れているが、イスラーム圏ではさすがに露出の多いものはあまりない。だが、男女ともに奇抜な恰好をし、時にはいやらしく腰をフリフリする姿もあって、一般的なイスラームのイメージを持ってみると、結構ドキっとさせられる。
そのハーレム・シェイクに宗教保守派が眉を顰めているのが、エジプトやチュニジアだ。チュニジアでは、二月末、外国語学校を舞台に学生たちがハーレム・シェイクのビデオクリップを録画しようとして、厳格なイスラームを主張するサラフィー主義の集団と衝突した。チュニジア教育省も、ハーレム・シェイクを不適切なものとし、関わった職員はクビ、と述べている。官憲と衝突して催涙弾の発砲まで至った地方もある。
そんなに目くじら立てるほどのものだろうか、などと、動画を見る限りでは、思う。ただのバカ騒ぎで、ええじゃないか祭りみたいなものじゃないか、と。
しかしその「ええじゃないか」的要素が、政府官憲にとっては問題なのだ。エジプトやチュニジアでのそれは、立派な反政府抵抗運動の意味を付与されている。同じ時期、エジプトでは若者集団がムスリム同胞団本部の目の前で、ハーレム・シェイクを企画した。主催者は「風刺革命闘争」と名乗り、現政権を支えるムスリム同胞団を批判するために行った、と述べている。路上で半裸で踊っていた若者が官憲に逮捕されるなど、風紀の面でも政治的な意味でも、政府はピリピリだ。
これが「アラブの春」のひとつの発展形態なのだろう。大人数が路上に集まって自由を叫び、その力で政権を倒したという、若者の政治性の高まりは、政権転覆後一種のサブカルチャーとして定着した。以前にここで紹介した、壁に描き続けられる落書きも、その一つだ。
エジプトでもチュニジアでも、「春」後はイスラーム政党が政権を主導している。エジプトではムルスィー大統領が徐々に権力を強めているし、チュニジアでは二月初め、左派世俗系の大物政治家が暗殺された。こうした風潮に反発する若者の批判手段が、デモから路上ダンスへと、まさに「ええじゃないか」的に変化しているのだ。
批判精神としてのハーレム・シェイクは、中東全体が抱える政治問題に対しても発揮される。パレスチナ問題については、パレスチナ支援を掲げる在米アーティスト集団「存在は抵抗だ」が作ったこれが、秀逸。
シリア内戦をパロディ化したものもある。
とはいえ、中東でのハーレム・シェイクがすべて政治化し、政治的だからウケているわけではない。そもそもリズムに合わせてすぐ踊りだすのは、中東の伝統文化だ。結婚式など宴会となれば必ず、老若男女に限らず、踊る。部族の集まりには勇壮な男踊りが必須だし、トルコなどの神秘主義教団、メフレヴィー教団は「踊る教団」で有名だ。ちなみに、シェイク(Shake)は英語の「フリフリ」の意味だが、発音的にはアラビア語で「長老」とか「部族長」を意味するSheikhにも近い。なので、伝統的な部族ダンスにこの曲を被せた動画もあるし、普通に田舎のおばさんが踊っているだけ、というのもある。
ハーレム・シェイクが流行る前から、エジプトの有名なベリー・ダンサーが、ムルスィー政権を揶揄する歌のビデオクリップを配信して話題になっていた。伝統だろうが欧米式だろうが、踊ることのもつ批判性は、今も変わらない。
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