コラム

イラク戦争10年のフラッシュバック

2013年03月19日(火)18時12分

 今年でイラク戦争開戦10年である。

 開戦日の20日に向けて、イラク戦争とは何だったか、特集を組むメディアも少なくない。だが、イラクに自衛隊が駐留していた2006年までの大々的な取り上げ方に比べれば、その扱いは実にわずかだ。消えた芸能人の、「あの人は今」番組レベルかも。

 10年という、内容的には意味のない年月を経てとってつけたように思い出すぐらいなら、いっそほっといたほうがいいのではないのか、とすら思う。むしろ、何かのきっかけに忘れがたく思い出すほうが、記憶としては正しい思い出し方だろう。普段は忘れていても、ふと似た顔、似た声の人に出会い、昔の恋人を鮮明に思い出して心を痛める、みたいな。

 イラク戦争もまた、「鮮明に思い出させるよく似た出来事」に、私たちはその後繰り返し出会っている。シリアでの内戦状況がそうだし、アルジェリアでの人質事件がそうだ。

 イラク戦争とは何だったのか。国際政治的には、9.11事件以降米国が、中東の民主化なくしては米国の安全なしと考えて、他国の政権交代を軍事介入によって強要する、という先例となった。日本にとっては、実質的に戦闘中の国に国連の枠ではなく自衛隊が派遣された、初めての事例だった。

 前者の問題は、ブッシュ政権からオバマ政権への交替が、ひとつの結論を出した。戦争からその後の内戦で米兵4000人以上が、イラク人民間人12万人近くが命を落とし、イラク人の生活インフラは粉々にされた。その犠牲の上に出来たのが、米政府のお気に入りとは程遠いイスラーム主義政党の、しかもイランと密接な関係を持つ政権だとしたら、大金と兵力を費やして他国の政権交代に介入したって仕方がないと、誰しも考える。開戦に反対していたオバマが大統領に選ばれた時点で、米国はイラク戦争型の介入の割の合わなさを身に染みたといえる。

 とはいえ、「ではどうするのか」に新たな解法を見出したわけではない。現在進行中のシリアでの内戦状態に国際社会が沈黙しているのは、「イラク戦争型の介入はできないがオルタナティブもない」、というジレンマからである。イラク戦争を反省するなら、その後似た例が起きたときにどう対処すべきなのか、なぜ議論してこなかったのか。シリアがこうなる前に、考える時間はたっぷりあったはずだ。

 日本にとってのイラク戦争は、もっと振り返られていない。イラク戦争後、日本が自衛隊を派遣したときの目的は、表向きは「イラクの復興支援」だが、実際には「対米協力と戦後のイラク復興景気に預かる」だった。大産油国イラクの戦後復興に参与するには、戦後イラク政治の主導権を握るであろう米国に恩を売るのが第一だ。とりあえず治安が落ち着くまで対イラク関係を自衛隊の駐留でつないでおけば、数年したら米主導のもとで日本企業が悠々と進出できる――。

 そんな目論見は、いつまでたっても回復しない治安と、必ずしも米国のいうことを聞かないイラク政府の成立によって、打ち崩された。あるコンサル会社によれば、イラクでの復興事業全体のうち日本が受注したのは、2011年時点で1パーセントに過ぎない。大型案件の受注国は、米企業が最多(110件中16件)とはいえ、仏、独(ともに14件)、中国、韓国(13件)が続いている(http://www.iraq-jccme.jp/pdf/20110810-1.pdf)。10年前、あれだけ米国と角突き合わせて開戦に大反対した仏、独や中国の企業の進出を見れば、「米国主導のイラク復興でシェアにありつく」ことが完全に夢物語だったことが、わかる。

 つまり、「治安の悪い環境で企業の海外進出」を目的とした自衛隊派遣は、効果がなかった。だが、この日本にとってのイラク戦争の反省は、その後に活かされているのか。一月のアルジェリア人質事件の際、「自衛隊をどう使うか」という議論がしばしば聞かれたが、自衛隊が企業進出の踏切板にはならないことは、イラクで示された。ましてや、自衛隊は民間企業の警備兵ではない。

 だとすれば、治安の悪い地域に日本企業はどうやって進出していけばいいのか。イラクでの自衛隊派遣が終わってからアルジェリアで事件が起きるまでの間には、十分時間はあった。今からでも、遅ればせながらイラクに進出を準備している企業は多い。

 「米頼みのイラク復興」という皮算用が破れた後の算段は、すぐにでも取り掛かるべき課題だ。「あの事件は今」なんて、振り返るだけの余裕は、ない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米陸軍、ドローン100万機購入へ ウクライナ戦闘踏

ビジネス

米消費者の1年先インフレ期待低下、雇用に懸念も=N

ワールド

ロシア、アフリカから1400人超の戦闘員投入 ウク

ビジネス

米ミシガン大消費者信頼感、11月速報値は約3年半ぶ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2人の若者...最悪の勘違いと、残酷すぎた結末
  • 3
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統領にキスを迫る男性を捉えた「衝撃映像」に広がる波紋
  • 4
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 7
    長時間フライトでこれは地獄...前に座る女性の「あり…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 10
    「これは困るよ...」結婚式当日にフォトグラファーの…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 7
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 8
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 9
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 10
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story