コラム

なでしこからサウディまで:スポーツに進出するムスリム女性

2012年08月08日(水)11時15分

 今年のロンドン・オリンピックの目玉は、なんといっても「なでしこ」の大活躍と、サウディアラビアからの女性選手の参加だろう。
 
 ちょっと無茶ぶりじゃない? と思われるかもしれないが、実はこの二つは密接につながっている。
 
 ことの発端は一年前、オリンピックのサッカー予選試合で、イランの女子チームが参加権を剥奪されたことに始まる。頭と首を覆うヒジャーブ(スカーフ)をして競技するのは危険だ、というのが理由で、全員がムスリム(イスラーム教徒)でヒジャーブを着用するイラン女子チームは、違反とされた。

 一年前、この話をこのブログで紹介したときにも書いたのだが、この問題がヨルダンのアリー王子の頭を悩ませることになる。ヨルダンでもまた、自国の選手にヒジャーブを被っている者が少なくなかったからだ。ちょうどFIFAのアジア代表の副理事に選ばれていたこともあって、アリー王子は以後、ヒジャーブ着用女子が試合に参加できるように、懸命に各方面に働きかける。

 昨年11月、マレーシアで開催されたアジア・サッカー連盟の理事会では、ヒジャーブ禁止条項をやめるよう、決議が採択された。その決議をもって、アリー王子は12月、東京でのFIFA理事会に出席した。そこで国際サッカー協会が認めた安全なヒジャーブを提案、2014年のワールドカップには認められる方向に進んだのである。

 さて、そうなると立場が弱いのが、ヒジャーブを理由に女子にスポーツを推奨しない保守的イスラーム国だ。女子のスポーツ教育など皆無ともいえるサウディアラビアに対して、今年初めごろからオリンピック委員会が、女子スポーツ選手の参加を認めるように、説得を繰り返してきた。なんといっても、保守的な宗教指導者が「スポーツは女子にとって悪魔への一歩」と公言してはばからない国である。つい最近まで、女性の運転すら認めていなかった。

 だが、お隣で同様に女子選手をオリンピックに出したことがないカタールが、揺らぐ。カタールは過去三回、オリンピック招致に立候補しているが、主催国が女子の競技参加を認めていないのはいかがなものかと、低評価につながっているのだ。サウディもサウディで、周辺国での「アラブの春」でもたらされた自由の空気が、国内にも伝わっている。

 教義に反しないよう、ヒジャーブをオリンピック委員会に認めさせようとする保守的イスラーム国と、できるだけ多くの国が多くの競技に参加してほしい、オリンピック委員会。その間で駆け引きが続いた結果、7月にようやく国際柔道連盟が、サウディの女子柔道選手のヒジャーブ着用での試合を認めた。結局サウディからは、十代の800メートル走選手と合わせて、二人の女性アスリートが参加することとなったのである。

 ところで、この一連の流れのどこに「なでしこ」が関係してくるか、ですって? アリー王子が東京のFIFA理事会でヒジャーブ問題を議題に挙げたとき、多くのサポーターからの支援があることを訴えた。そのなかに、「なでしこ」が入っていたのである。

 宗教が理由で女子スポーツ選手の行く手が阻まれるのは、嫌だ。宗教的制約があっても堂々とオリンピックで活躍できるんだぞ!、と高らかに主張するイスラーム教徒の女性は、増えている。そのカッコいい競技姿を、以下のウェブサイトでぜひ見てほしい。世界のムスリム女性の試合結果一覧などもあって、なかなか面白いですよ。
http://muslimwomeninsports.blogspot.jp/2012/08/muslim-female-olympians-from-middle-east.html

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

シカゴとポートランド派遣の州兵、一部撤退へ=米当局

ワールド

MAGA派グリーン議員、トランプ氏発言で危険にさら

ビジネス

テスラ、米生産で中国製部品の排除をサプライヤーに要

ビジネス

米政権文書、アリババが中国軍に技術協力と指摘=FT
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生まれた「全く異なる」2つの投資機会とは?
  • 3
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃度を増やす「6つのルール」とは?
  • 4
    「中国人が10軒前後の豪邸所有」...理想の高級住宅地…
  • 5
    南京事件を描いた映画「南京写真館」を皮肉るスラン…
  • 6
    悪化する日中関係 悪いのは高市首相か、それとも中国…
  • 7
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 8
    レアアースを武器にした中国...実は米国への依存度が…
  • 9
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 4
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 5
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 6
    【写真・動画】「全身が脳」の生物の神経系とその生態
  • 7
    筋肉の正体は「ホルモン」だった...テストステロン濃…
  • 8
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 9
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 10
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 7
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 8
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 9
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story