コラム
酒井啓子中東徒然日記
反イスラーム的? サウディ・ブロガーの運命やいかに
昨年以来の「アラブの春」では、若者たちが「恐怖の壁を壊した」とよく言われる。
その壊す壁が「宗教」にも及んだのだろうか、と思わせられる事件が起きた。23歳のサウディアラビア人ブロガーが、預言者ムハンマドを冒瀆するブログを書いたのである。
ことの発端は、こうだ。サウディアラビアの「アル・ビラード」紙(紙面の7割が広告という、タブロイド紙だ)のジャーナリストだったハムザ・カシュガリーが、2月5日の預言者ムハンマド生誕祭に、「あなたのために礼拝しない」とか「あなたにひれ伏さない」といった、預言者に語りかける口調のブログを書いた。これが預言者を侮辱した、というので、サウディの宗教指導者は即座にカシュガリーに対する裁判を要求、カシュガリー自身は謝罪を表明した上、ニュージーランドに政治亡命を求めた。サウディでは、預言者に対する冒瀆は死罪に値するからである。だが、彼はマレーシアに到着したものの、マレーシア警察によって逮捕され、12日にサウディに強制送還された。
過去にもイスラームを侮辱、冒瀆した、という事件は多々あった。最近では、2005年にデンマーク誌で、ムハンマドをテロリストに見立てた風刺画が掲載された事件があるが、風刺画を描いたのはイスラーム教徒ではない、西欧の漫画家だ。それ以前には、1989年にサルマン・ルシュディーが書いた小説「悪魔の詩」がコーランを揶揄し、売春婦の名前に預言者の妻の名前を使ったことで大騒動となったが、もとはインド出身のイスラーム教徒とはいえ、ルシュディーは英国籍の無神論者である。いずれの事件も、全世界のイスラーム教徒たちの間で大規模な反発が発生したのは、それが容易に「欧米のイスラームに対する侮蔑」という、歴史的に定着してきた差別意識と結びついたからだ。
だが、今回の事件ではそうした「欧米の偏見」に原因を探すことはできない。なんといってもイスラーム国家の中のイスラーム国家であり、「両聖地の庇護者」を誇るサウディアラビアの若者が起こした事件である。カシュガリーが「アラブの春」を支持していたという説もあり、宗教もまた、既存の体制や規範に反旗を翻す今のアラブの若者層の、「造反有理」の対象となることを免れない、ということを示しているのかもしれない。
しかし、ここで注意すべきことがある。この事件に対して、欧米のメディアがこぞって「カシュガリーを守れ」論陣を張ることの逆効果だ。ジャーナリストたちが「報道・発言の自由」を強調することは当然だが、欧米からの短絡的なエールは、再び「欧米の対イスラーム偏見」の構造を持ち込む。特に、「アラブの春」後にチュニジア、エジプトで実施された選挙では、いずれもイスラーム政党が台頭した。そのことに、欧米社会は再び、漠然とした「イスラームの台頭」への不安を掻き立てられている。そういう背景があってこそ欧米はカシュガリーを擁護しているのだ、とみなされがちな構造がある。
アラブ、イスラーム圏の若者たちが自分たちの社会の内部に反省と改革の目を向け、多種多様な意見を発言し始めたことが、「アラブの春」の最大の成果だった。だが、そうした若者の自由への希求がすなわち「民主化」とか「政教分離」といった「欧米の模倣」を単純に意味しているのだ、と思ったら、それは大きな誤解である。
若者は、今彼らを取り巻く制約から自由を求めている。しかし、それは今ある別の選択肢を求めているのではない。今ここにない選択肢を探す途上にある若者の、答えを待つだけの余裕と度量が、サウディアラビアにあればいいのだが。
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