コラム

イラクで起きているのは「宗派対立」か

2011年12月30日(金)00時16分

 イラクで再び治安が悪化している。
 
 12月14日オバマ大統領が「イラク戦争の終結」を宣言し、18日に最後の米部隊が撤退したのち、12月22日にはバグダードで60人近い死者を出す爆破事件が発生した。それに先立って11月25日には南部油田地域のバスラで、また12月5日にはシーア派巡礼客を狙っての攻撃が各地で発生した。ここ数年、治安は改善方向で来ていたので、「やはり米軍がいなくなるとイラクは不安定になるのでは」との懸念が高まっている。
 
 気になるのは、そうした状況についての報道のほとんどが「宗派対立再燃か」という論調で語られていることだ。
さて、本当にそうなのだろうか。宗派対立が治安悪化の原因なのだろうか。
 
 「宗派対立」が強調されるきっかけとなったのは、12月21日にターリク・ハーシミ副大統領に逮捕状が出されたことだ。容疑は、彼のボディガードが首相を含む暗殺未遂事件に関与していた、ということ。また彼はアッラーウィ率いる超宗派的政党連合「イラキーヤ」の重鎮だが、17日にはイラキーヤが政府与党と対立して議会活動を停止する、という抗議行動を取っていたので、ハーシミ逮捕はイラキーヤに対する報復とも見える。
 
 イラキーヤは世俗的、超宗派的政党で、特にイスラーム教スンナ派住民の多い地域を支持基盤に持つ。ハーシミはスンナ派で、首相をはじめとする政府要人がシーア派であることを考えれば、違う宗派の間で対立しているというのは、事実ではある。
 
 しかし、より注目すべきことは、宗派より今のイラクの議会での議席分布が非常に扱いにくい分布になっていることが、混乱の原因だという点である。現在イラク議会では、単独過半数を取れる政党がなく、本来ならば第一党はイラキーヤである。なのに、第二党のマーリキーが首相として強力な権力を確立しつつあるのだ。

 少し詳しく説明しよう。2010年の選挙で、世俗主義系のイラキーヤが、僅差でマーリキー首相率いるシーア派イスラーム主義政党「法治国家連合」を破った。しかし「法治国家連合」とかつて連立を組んでいた、政治的にも同じシーア派イスラーム主義を掲げる「イラク国民連合」が、第三党で続く。つまり、マーリキーは似た者同士、かつての連立相手と組むことでかろうじて半数弱の議席を確保できるのだ。イラキーヤを率いるアッラーウィはシーア派出身である点はマーリキーと同じだが、元バアス党員の多いイラキーヤと、バアス党を徹底して嫌う法治国家連合やイラク国民連合とは、政治理念として相容れない。
 
 本来第一党なのに首相ポストを第二党に持って行かれたイラキーヤは、当然面白くない。マーリキーが妥協のために重要な閣僚ポストをイラキーヤに譲るのでは、と期待していたが、そんな様子は見られない。

 一方で、米政権はマーリキーよりアッラーウィを推していた。戦後さっさとバアス党や旧軍を解体したことを反省して、実は米軍はその統治の末期には、かなり旧バアス党員や旧軍の起用に依存していた。米軍撤退後にイラキーヤと政府の対立が露骨になったのは、米軍の庇護の消えたイラキーヤを一気に潰しておこうという、シーア派イスラーム政党の思惑が理由だ、と言ってよい。

 つまり、宗派間の対立ではなく、旧バアス党員を容認するかどうか、イスラーム主義を前提に世俗派を排除するかどうかが、争点なのだ。宗派を原因に問題を単純化しすぎると、事態の本質を見誤ってしまう。メディアはその報道の仕方に、どうか注意してほしい。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

再送-EQT、日本の不動産部門責任者にKJRM幹部

ビジネス

独プラント・設備受注、2月は前年比+8% 予想外の

ビジネス

イオン、米国産と国産のブレンド米を販売へ 10日ご

ワールド

中国、EU産ブランデーの反ダンピング調査を再延長
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story