コラム

エジプト再燃:「春」は続かないのか

2011年11月23日(水)13時40分

 そもそも「アラブの春」なんて呼称をつけたのが、間違いだったのだ。共産党支配に反対して民主化運動を起こした68年の「プラハの春」が、結局はソ連の軍事介入で潰されたように、「春」は、失敗とその後の20年近くの厳冬を想起させる。

 だから、エジプトでここ数日起きていることは、全く想定外ではない。2月11日、連日の大衆デモの圧力でムバーラク大統領を退陣に追いやったときには、非民主的政権の交替を求める若者の運動と、政権内で大統領を見限った軍と、最大の在野勢力ながら長く公的な政治活動を認められてこなかったイスラーム主義勢力との利害が一致して、旧政権の中核を放り出すことに成功した。「大統領を辞めさせる」という、とりあえずの最大公約数で一致できたがゆえに、大きな集団的衝突もなく、分派活動による暴力化や過激化もなく、外国の介入もなく、短期間に目的が達せられたのである。そこが、政権交替に半年もかかったリビアや、まだ実現していないイエメンやシリアとの違いである。

 だが、「とりあえず」で始めた以上、水と油の三者がぶつかるのは、最初から予想されていた。それが、総選挙などの具体的な民主化実現のための政策の実施を進める上で表面化するだろうことも、予見されていた。総選挙開始を10日前に控えて、18日から激化したデモ隊の軍に対する批判と衝突は、民政移管にはあと一年から二年が必要とする軍最高評議会(ムバーラク後の全権を握る機関)に対して、即時の民政移管と改革着手を求める若者らリベラル派やイスラーム勢力が反発を強めて起きている。

 旧政権の中核だけを外して現勢力を維持したい軍と、政権の体質自体をガラガラポンしたいそれ以外の勢力とのせめぎあいなわけだが、後者の間にもそれぞれ温度差がある。純粋に「世直し」と「解放」を夢見て1~2月のデモに参加した若者たちは、自分たちの頭の上に乗っかっている重石を、すぐにでも取っ払いたい。だが政治経験豊富な老練な政治家たちは、その難しさを重々承知だ。若者の軽率には最後まで付き合えない、さて現体制の核たる軍とどう折り合いをつけるかと、考えを巡らせている。

 微妙なのが、イスラーム勢力だろう。ムスリム同胞団は、ムバーラク後ようやく政党結成が認められたが、その「自由公正党」は選挙となれば最大の票を得て第一党になるだろうと予想されている。先月チュニジアで行われた総選挙で、同じく穏健なイスラーム政党「ナフダ」が勝利したことも、その予想を裏付ける。

 その勢いを背景に、同胞団としては早く民政移管して早く選挙に臨みたい。時間をかけていては、今は未熟なリベラル派が組織化され台頭してくるので、不利である。その立場からすれば軍事政権の長期化に反対だが、同時にムバーラク政権自体さんざん弾圧を受けてきた経験もある。下手に衝突して軍の組織的弾圧の対象になることは、避けたい。今回の反政府デモ再燃に当たって、同胞団としてデモ参加に消極的な姿勢を示しているのは、そうした背景からだ。

 「アラブの春」が「春」として世界にインパクトを与えたのは、それが普通の若者たちが素朴で純粋な不満を掲げて集まり、エリートたちが独占する政治経済の中枢の、「外」から物事を動かそうとしたからだ。その新たな運動は、再び古いタイプの権力抗争と派閥の駆け引きに取って代わられて政治ゲームの外に放り出されるのか、それとも新しい政治へと続く道を準備して、これまでの悲しい「春」のイメージを払拭できるのか。

 「革命の帰結なんてそんなもんだよ」と終わらせたくない若者たちが、窮地に立たされている。タハリール広場でも、ウォール街でも。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

政治圧力で独立性揺らぐFRB、今週FOMCは0.2

ワールド

クックFRB理事、住宅ローン申請違反の証拠なし 市

ワールド

カナダ競争局、英アングロと加テックの合併を調査

ワールド

インド貿易赤字、8月は264億ドルに縮小
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 3
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く締まった体幹は「横」で決まる【レッグレイズ編】
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 6
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 7
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 8
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    「この歩き方はおかしい?」幼い娘の様子に違和感...…
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story