コラム
酒井啓子中東徒然日記
「イエメン人女性活動家」がノーベル平和賞を得る理由
今年のノーベル平和賞が、弱冠30歳代のイエメンの女性活動家に与えられたのには、びっくりだ。いくつかのメディアにコメントを求められたが、正直どういう人物か、知らなかった。スイマセン。
タワックル・カルマンは、アラブ世界のなかでも部族性の強い、経済的にも貧しいイエメンで、ジャーナリストとして女性の権利を主張、五年前に「鎖につながれない女性ジャーナリストたち」という組織を立ち上げて活動してきた女性である。今年一月から続くイエメンの反政府民衆運動でも、積極的に指導的な役割を果たした。女性の地位向上というポイントに加えて、「アラブの春」にも関わった点が受賞に大きく影響したのだろう。
今回のノーベル平和賞は、下馬評では「アラブの春」関係者に行くに違いない、といわれていた。なかでも本命視されたのは、エジプトで反政府運動盛りあげに一躍買ったフェースブック、「われわれはみなハリード・サイードだ」を一年前に立ち上げた、エジプトでのグーグル社責任者、ワーイル・ガーニムである。彼のフェースブックの影響力を恐れたムバーラク政権は、カイロで反政府デモが発生するとすぐワーイルを逮捕したが、10日後には釈放。釈放されるなり彼はエジプトのテレビ番組に出演し、デモ中に弾圧に倒れた同胞を思って、号泣する。その感動的な姿が視聴者を動かし、結局四日後にムバーラクは辞任に追い込まれたのである。エジプトの「アラブの春」を象徴する人物であることは、確かだ。
しかし、ノーベル賞選定にあたって「そこまでエジプトの新体制を持ち上げていいのか」といった声があったに違いない。政権交替をもたらした民衆運動が暴力性、宗教性から遠いところにあったのと対照的に、最近のエジプト情勢を見れば、宗教対立や武力衝突のきな臭さが漂う。当初に見えていたほど、美しいお話ではないかも、と、選考委員たちは思ったかもしれない。そもそもエジプトの「アラブの春」は世界的に脚光を浴びすぎているので、受賞は露骨に過ぎるかもしれない。
だとすれば、現在進行形の「夢」に褒美を与えたほうがよい。それが、何か月も辞任がささやかれながらしぶとく地位にしがみつく、サーレハ大統領統治下のイエメンである。民衆運動側をあと一押しすれば「春」が成功するかも、との期待もあっただろう。なにより女性運動の活動家という点を捉えれば、「アラブの春」と関係なくても「平和賞」的に十分評価の対象だ。露骨な支持をぼやかすために、「女性」の立場が使われたようにも見える。
そう考えるとずいぶんに失礼な話なのだが、しかしその配慮は適切ではある。これまでも中東の民主化は、欧米が支援することで逆に「欧米の手先」視されて、失敗することが多かった。イランのシーリーン・エバディもノーベル賞を受賞したことで、一層政権ににらまれた。本当に支援するなら、これ見よがしにすべきではない。
「アラブの春」はリーダーのいない無名の人々の運動だったからこそ、多くの人々をひきつけたのである。無理やりヒーローを探し出すことは、その運動の性質を変えてしまう。欧米市民社会の無邪気な善意が非欧米社会で進行する真摯な運動を歪めてしまう、多くの原因となっていることを、忘れてはならない。
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