コラム

イエメンに「春」は訪れるか

2011年06月10日(金)19時24分

 イエメンのサーレハ大統領は、やけど治療が終わったら無事帰国できるだろうか?

 6月3日に大統領官邸を反政府勢力に攻撃されて負傷した大統領は、治療のために隣国サウジアラビアに脱出した。国内の反大統領派はこれを実質的に亡命と見なして、政権交替を進めようとしている。

 イエメンは、早い時期からジャスミン革命の影響を受けた国だ。今年1月、大学生を中心としたデモがエジプトに先駆けて組織され、大統領退陣を求める大衆行動が繰り返し展開されていたが、決め手のないまま、半年にわたり一進一退の状態が続いていた。今回の大統領の国外脱出が政権交替に繋がれば、イエメンは三番目の「アラブの春」の成功例となる。

 それにしても、逃げた先がサウジ、というのが、イエメンの地政学的な宿命を如実に現している。巨大産油国の王政サウジと、アラビア半島で最も貧しい共和政のイエメン。イエメンが南北に分かれていた冷戦期には、封建王政の雄サウジは、中東で唯一の共産主義国家だった南イエメンを眼と鼻の先に抱えて、左派革命の波が自国に及ばないかと常にぴりぴりしていた。60年代のイエメン内戦は、旧王政派を支援するサウジと、共和制派を支援するアラブ民族主義の旗手エジプトの実質的な代理戦争だった。

 しかしそのイエメンも出稼ぎや貿易でサウジに依存し、経済的には従属せざるを得ない。サウジにとってイエメンは脅威、イエメンにとってサウジは面白くないが頭を下げざるをえない地域のボスである。

 「金持ち王政産油国」対「貧乏な共和政アラブ」の対立構造を象徴した事件に、湾岸戦争直前のアラブ協力会議(ACC)設立がある。1989年、8年にわたるイランとの戦争を終えて、産油国ながら戦費負担を抱えて一気に貧乏国に転落したイラクは、同じく非産油国のヨルダン、エジプト、イエメンを誘ってアラブ協力機構を結成した。経済協力が名目だが、お目当てが集団で産油国から援助を引き出すことだったのは、明々白々だ。ACCにイエメンが入ったことで、この同盟は「貧乏軍事大国がサウジを取り囲んで脅す」構造となった。当時北イエメン大統領だったサーレハがそれを示唆する発言をして、エジプト外相があわてて「いや、純粋に経済目的ですから」と取り繕う一幕もあった。

 湾岸戦争の勃発で、ACCはわずか二年に満たない運命となったが、このACCが対抗の対象とした産油国の地域同盟、湾岸協力会議(GCC)は、その後役割を増して今も大活躍だ。「アラブの春」ではバハレーンにGCC合同軍を派遣して、「春」を潰すのに貢献した。

 面白いのは、このGCCが今どんどん拡大していることである。5月、ヨルダンとモロッコがオブザーバー加盟することとなった。GCCはもともとイラン革命の波及を恐れるペルシア湾岸産油国が81年に結成したものだから、ヨルダンやモロッコなどのペルシア湾岸にない国が加わるのは、なんともおかしな話である。

 これはすなわち、GCCが目下の「脅威」をイランではなく「アラブの春」だ、と考えているからだ。今やGCCは、変革の波に抵抗する王政諸国の連合体となった。いわば、フランス革命に抵抗する「対仏大同盟」である。さしずめサウジは、反革命・保守派の最後の砦といったところだろう。

 かつて革新派を売りに共和制政権を担ってきたチュニジア、イエメンの大統領が、今は封建王政、保守派のドンたるサウジに救いを求める。「アラブの春」は、そんな根本的矛盾を赤裸々に浮き彫りにする。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が

ワールド

ロシア・イラン大統領、戦略条約締結 20年協定で防
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲うウクライナの猛攻シーン 「ATACMSを使用」と情報筋
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさ…
  • 6
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 7
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 8
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    雪の中、服を脱ぎ捨て、丸見えに...ブラジルの歌姫、…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 6
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story