コラム
酒井啓子中東徒然日記
公安機密リークと在日イスラーム教徒
ウィキリークス問題は、いまだ世界のあちこちに波紋を呼んでいるが、「情報流出」「暴露」といえば、日本でも気になる事件があった。
先月末に第三書館から出版された「流出『公安テロ情報』全データ」がそれである。警視庁公安部から流出した「テロ情報」を満載した本だが、そこでは公安がどういう人物を「テロ」操作対象としているかを、写真や個人情報を一切隠さず掲載している。そしてそのほとんどが、日本にいるイスラーム教徒である。
本が出たとたんに私がしたことは、真っ先に知った名前はないか、探すことだった。私の勤める東京外国語大学には、外国人留学生が多く学んでいるからである。二年前に政府が「留学生30万人計画」を打ち出して以降は、留学生の増加は一層顕著だ。そうした学生が困ったことになってはいないか、知り合いに嫌疑がかかっていないか・・・・。
これまでもイスラーム教徒の学生が警察に疑われているのでは、と思われる例はあった。「たまたま知り合いになった警察関係の人が、しきりに展覧会やハイキングに誘ってくるのだけれど、なにかウラがあるのでは」とか、「公安関係の人に研究テーマをあれこれ尋ねられた」と訴えてくる。9-11事件を契機に欧米諸国で「イスラーム教徒=テロリスト」視されてきた彼らは、日本でも自分たちは疑われているのでは、と疑心暗鬼、不安に駆られた生活を強いられている。
この流出データは、まさにそうした「疑心暗鬼」が具現化された内容だ。だがそれ以上に問題なのは、リークされたイスラーム教徒の個人情報が追い討ちのように活字ではっきりと公開されてしまったことである。データを暴露されたイスラーム教徒が出版社を訴えて仮処分申請を行い、裁判所は本書の出版差し止めを決定した。ただでさえ「周りの白い目」を懸念しながら生活する彼らにとっては、この情報公開は打撃だっただろう。
もともとイスラーム教徒を「テロ」視した警察がけしからん、というのがこのリーク本の趣旨だ。だが、その結果「テロ」視されたイスラーム教徒の立場を追い込むことになっては、本末転倒ではないか。個人情報漏洩でイスラーム教徒が被るであろう被害を、彼らに代わって出版社が一手に引き受ける、との覚悟でもあればよいが、そうでもなさそうだ。
私が一番悲しいのは、中東やイスラームを論じ語る知識人が、実は他の目的を論じるためにこれらの地域の人々とその問題をダシにしているのではないか、と思えることである。日本の警察の問題を暴くために、イスラーム教徒が公安の「テロ対策」の被害者であることを取り上げるが、そこではイスラーム教徒の存在は警察批判の材料として矮小化される。主張すべき議論ありきで、ある特定の地域、社会の人々の置かれた立場を自分の主張を正当化するために利用する、というアプローチには、強い憤りを覚える。それは問題の「ウィキリークス」にもいえることだ。
第三書館は、過去に中東、イスラーム関係のたいへん優れた書籍を多く出版してきた出版社である。だからこそ今回の「リーク」事件は、とても心が痛む。
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