コラム

世界情勢を「わかる」ということ

2010年11月01日(月)17時41分

 先週、寺島実郎さんが主催する、『寺島文庫リレー塾』で、最近の中東情勢の話をする機会があった。テレビなど多くのメディアで鋭い議論を展開する寺島さんは、昨年私財を投げ打って「寺島文庫」を開設し、特に若者が自由に出入りして意見を交わす「文庫カフェ」を企画しておられる。今の日本には、近代西欧で見られたようなサロン、カフェ談義のような開放された知の空間がない。学問は学び舎ではなく、街角の自由闊達な交遊のなかから生まれる。だからそういう空間を作りたい、との氏の発想には大いに共感するところだ。なんといってもコーヒーを飲む習慣は中東のイエメンが発祥の地なわけで、著者も細々と「中東カフェ」なる試みを各地で展開してきた。

 さて、そのリレー塾で、なかなか鋭い質問を飛ばした学生がいた。いわく、『分かる、とはどういうことか。わからなくとも本質をつかむには、どうすればよいのか』。

 こういう本質を突いた質問は、回答者の知に対する姿勢をテストされているようなものだ。講演の後の短い質問時間で、すぐに気の効いた回答ができなかったことが、悔しい。なので、ここで改めて考えてみたい。このことについて、ブログやツイッターなどでどんどん議論が進むとうれしい。

 わかる、ということを、たくさんの事実を知っていること、だと考える人が多い。世界で何が起きているか、多くの情報を知っておかなければ、とつい思いがちだ。だが、情報や知識が増えても、それらたくさんの事実群がどういう意味を持ち、全体の構成のなかでどう位置づけられるか、がわからないと、それはただ物知りになってしまう。さまざまな出来事が作り上げる大きな流れ、それらを取り巻く大きな枠組みがどうなっているかを把握することが重要だろう。

 ではその大きな枠組みを把握する、とは何か。まず、わかっているさまざまな出来事を説明できる何らかの法則を見つける。そしてその法則を当てはめれば、一見不可解に見える出来事がそのルールのなかで合理的な出来事だと腑に落ちる、そういう法則に名前をつけてみる。冷戦構造とか、南北格差とか、文明の対立とかいった名前だ。

 世界情勢をわかる、というのは、物理学に似ている、と私は考えている。重力や作用・反作用は目に見えないが、その概念を使うことで多くの事象を説明できる。世界情勢も同じで、世界で起きていることをすべて詳細に見、知ることはできない。でも、他の事例から導かれた法則に基づけば「ここでこういうことが起きたのには、こういう要因があったに違いない」と想定ができる。でも、多くの法則は先進国の例から導かれている。非先進国で起きることに当てはまらないことが多いが、それを例外として放置しない。非先進国の事例を含めて、どう法則を変えれば世界のさまざまな事象に腑に落ちる説明ができるだろうか、と考える。情報の蓄積と法則の名づけの繰り返し、それこそが学問の楽しみなのだ。

 「寺島文庫」で問いを発した学生は、まさに学問の楽しみの窓口に立っているところなのだろう。どんどん問いかけを「つぶやいて」もらいたいものだ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国、フェンタニル巡る米の圧力に「断固対抗」=王外

ワールド

原油先物、週間で4カ月半ぶり下落率に トランプ関税

ビジネス

クシュタール、米当局の買収承認得るための道筋をセブ

ビジネス

アングル:全米で広がる反マスク行動 「#テスラたた
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 5
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 6
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story