コラム
酒井啓子中東徒然日記
「ユダヤ人の国イスラエル」のアパルトヘイト性
10月10日、イスラエルで、「新たにイスラエル市民権を取得する者にユダヤ人国家に忠誠を誓わせること」という法案が可決された。翌日には、ネタニヤフ・イスラエル首相がパレスチナ自治政府に対して、「占領地への入植凍結の見返りに、イスラエルをユダヤ人国家として承認せよ」と要求した。
日本のメディアでの報道は、ごく小さい。だが、これは大変大きな問題である。
イスラエルはユダヤ人の国として作られたのだから、別に不思議じゃないじゃないか、と思われるかもしれない。だが、実はイスラエルの全人口の二割近くは、非ユダヤ人の、建国前からそこに住んでいたアラブ人(つまりパレスチナ人)である。「イスラエルはユダヤ人の国」との規定を明確化することは(今回の法案は新規に市民権を取得する者が対象だとはいえ)、イスラエルに住む非ユダヤ人を、ばっさり切り捨てることに他ならない。
それ以上に、「ユダヤ人」というエスニック的要素で市民権を限定することは、「民族、宗教に関わらず国民は平等」とする民主主義の原則と反する。国民や市民をエスニックな要素に基づいて規定する「エスニック・ナショナリズム」は時代遅れだ、と批判する声も強い。
イスラエル・パレスチナ間の和平交渉は、1993年のオスロ合意以降、「二国家案」を原則として進められてきた。つまり、ユダヤ人のイスラエルとパレスチナ人のパレスチナの二つの国家を並存させて和平を実現する、という考え方だ。だが、オスロ合意がほぼ破綻し、パレスチナ国家の実現性が年々低くなるにつれ、二国家案は失敗、との見方が強くなってきた。イスラエルによる入植が占領地パレスチナを侵食し続けている現状で、逆に「一国家案」が浮上している。
一国家案とは、民族、宗教にかかわらずイスラエル/パレスチナに住む人々が等しく国民となる民主的なひとつの国家を、イスラエル、パレスチナを分かたず作るべし、というものだ。イスラエル国家建設の礎たる国連のパレスチナ分割案採択から60周年にあたる2007年、イスラエルやパレスチナ、英国などの知識人が「一国家案宣言」を発表した。
現在イスラエルが進める政策は、まさにパレスチナ人の間での「一国家案」への期待を膨らませることに他ならない。パレスチナ自治政府に譲歩しない。入植でパレスチナ地域をどんどんイスラエルに組み込んでいく。イスラエル本土には二割のパレスチナ人がいる。となれば、イスラエルの頚城から逃れられず二級市民扱いされるパレスチナ人たちは、パレスチナ国家独立に向かうのではなく、そこにあるイスラエル国家に、平等な市民権を求めていくしかない。
イスラエルがパレスチナとの和平交渉も進めず、「イスラエルはユダヤ人国家だ」と主張することは、パレスチナ人を別の国家として切り離しもしない、だが市民権も与えない、という宣言である。それは、かつて南アフリカのアパルトヘイトが辿った道を想起させる。
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