コラム

クルド地区でのイラク・日本会議

2010年10月06日(水)18時09分

 9月半ば、イラク北部のクルド地区で、日本とイラクの近現代史に関する国際ワークショップが開催された。バグダード大学歴史学部が主催、日本の国際交流基金が支援して実施された学術会議で、バグダード大学の諸先生方はもちろん、日本からもイスラーム史研究の重鎮や若手イラク研究者、日本史研究者が参加した。イラク戦争後、日本人の学者がイラクの地での国際会議に参加したのは、おそらく始めてのことだろう。残念ながら、私自身は参加できなかったのだが、主催者のバグダード大学の先生方はいずれも古い友人たち。会議後には次々に、会議が成功してよかった~、という、安堵と感動のメールが届いた。

 ご存知の通り、イラクはいまだ、民間の外国人が自由に出入りするには治安に不安を抱えている。近年、石油関係のビジネスやさまざまな復興事業の商談が外国企業との間でなされるようになっているが、それはたいてい、インターナショナルゾーンと呼ばれるバグダード国際空港とその周辺の、隔離された地区で行われる。かつて米軍がイラク占領の拠点とした「グリーンゾーン」で、塀に囲まれ徹底した安全が確保されている(はず)の一種の外国人特区だが、普通のイラク人にとっては敷居の高い、別世界だ。そこにはよほどの仕事がなければ行きたくないし、グリーンゾーンに赴くことこそが、狙われる対象になる──。

 そう考えるイラク人にとって、北部のクルド地区は外国人と交流を図るには都合のよい場所だ。少数民族クルド人の自治地域は、バグダードをはじめイラクの他地域が治安問題に足を取られている間に、クルド地方政府の主導でさっさと復興、経済開発を進めている。外国企業の進出も盛んで、首都アルビルにはヨーロッパとの直行便も飛んでいる。

 クルド地方政府は、現在イラク中央政府と、連邦制のあり方を巡って微妙な関係にある。外国企業との抜け駆け的交渉やクルド地区の拡大構想など、中央政府の合意を待たずに突き進むクルド民族に対して、モースルなど隣接地域のアラブ人の間で反感が高まっているのも確かだ。

 それでも、「内なる異国」のようなインターナショナルゾーンで外国人と会うよりは、同じイラクの地で外国人を招いたほうがよい、と考えるイラクのアラブ人は少なくない。いまや民族自立、独立の道を謳歌するクルド地区だが、逆にイラクの他地域から非クルド人たちが集まる場にもなっている。民族対立、分離が懸念されるクルド地域で、それは将来の和解と共存のためにも重要なことだろう。

 それはきっと、クルドの菓子業界にも朗報だろう。会議報告のメールとともに、私の手元には、大量のクルド地区原産の自然のヌガーが届けられた。旧約聖書にも出てくるこのお菓子「マナ」は、イラク人なら誰でも知っている名産品。クルドの自治は進んでも、「マナ」の「イラク国民的お菓子」としての地位は、いまだに健在である。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

G20首脳会議が開幕、米国抜きで首脳宣言採択 トラ

ワールド

アングル:富の世襲続くイタリア、低い相続税が「特権

ワールド

アングル:石炭依存の東南アジア、長期電力購入契約が

ワールド

中国、高市首相の台湾発言撤回要求 国連総長に書簡
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やってはいけない「3つの行動」とは?【国際研究チーム】
  • 2
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネディの孫」の出馬にSNS熱狂、「顔以外も完璧」との声
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 4
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 5
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベー…
  • 6
    「裸同然」と批判も...レギンス注意でジム退館処分、…
  • 7
    Spotifyからも削除...「今年の一曲」と大絶賛の楽曲…
  • 8
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 9
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 10
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    【銘柄】ソニーグループとソニーFG...分離上場で生ま…
  • 9
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 10
    「ゲームそのまま...」実写版『ゼルダの伝説』の撮影…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story