コラム

ホルムズ海峡、再び波高し?

2010年08月04日(水)17時39分

 20年前の1990年8月2日、その後の国際政治を大きく変える出来事が起きた。炎天下、イラク軍が国境を越えてクウェートに進軍、同国を占領したのである。いわゆる湾岸危機の発生だ。半年後には、米英など多国籍軍が武力行使に踏み切り、湾岸戦争が起きた。

 現在、8月末までにイラク駐留の米軍を撤退させる、として、オバマ政権はイラク戦争の泥沼に終止符を打とうとしている。2003年以降イラクを混乱に陥れ、かつ米国の重荷となってきたイラク戦争だが、遡れば20年前のイラクのクウェート侵攻に繋がっている。冷戦後、初めての紛争処理に、国際社会を総動員して湾岸戦争を戦った米国は、弱体化しながらもしたたかに生き延び続けるイラクのフセイン政権をどうしてよいかわからず、9-11事件後簡単にアフガニスタンのタリバン政権を倒すことができた(と少なくとも当時は思えた)経験を踏まえて、フセイン政権も簡単に倒せるだろうと、イラク戦争を起こしたのだ。

 そのイラクのクウェート侵攻もまた、それ以前の中東を取り巻く政治環境の産物として行われた。侵攻の2年前まで、イスラーム政権のイランとフセイン政権のイラクは8年にわたって戦争を続けていたからだ。イラン・イラク戦争は形式的にイラクが勝利した格好となったが、両国とも大量の戦死者を出し、経済的に疲弊しきった。その戦後のフラストレーションを外に向けるように、イラクはクウェートに刃を向けたのである。イラクと米国の懊悩は、30年前のイラン・イラク戦争の開戦に起源を辿れるともいえる。

 イラン・イラク戦争が行われていた80年代の出来事を彷彿させるのは、そうした歴史的因縁ばかりではない。先日商船三井の原油タンカーが損壊した、ホルムズ海峡。イラン・イラク戦争後半、膠着した戦線を打開するために、両国が第三国のタンカーを攻撃しあった場所だ。ペルシア湾を航行する船舶の保険料は跳ね上がり、ペルシア湾情勢は石油消費国にとって愁眉の問題となった。戦争に巻き込まれることを危惧した他の産油国は国際社会に訴えかけ、米軍や国連が動いて停戦にこぎつけたのである。ホルムズ海峡を通ってペルシア湾に向かう船は、この地域での紛争を国際化するのに格好のターゲットなのだ。

 商船三井の事件がどういう原因で起きたかは、武闘派反米勢力の犯行声明もだされてはいるものの、現時点では不明だ。しかし、過去の戦争の展開を振り返れば、どのような勢力が自分たちの「忘れられた戦い」を国際的にアピールするために、この海域に目をつけてもおかしくない。

 湾岸危機から20年。イラン・イラク戦争から30年。イラン、イラクを始めとして、ペルシア湾岸諸国が安全になったとは到底言えない現実がある。石油輸送ルートの安全確保という、古くて新しい問題は解決していない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story