コラム

ドイツ・ナショナルチームの「トルコ人」

2010年07月07日(水)21時09分

 このブログがアップされている頃には、ドイツは決勝に勝ち進んでいるだろうか。

 2010年ワールドカップ南アフリカ大会でのドイツチームの立役者のひとりに、メスード・エジル選手がいる。甘いマスクのイケメン、21歳の彼は、トルコからの移民家族の子としてドイツのゲルゼンキルヒェンに生まれた。サッカー界に中東系移民の二世、三世が多いことは、2005年に引退したフランスのジダン選手がアルジェリア出身の移民二世だったこともあって、よく知られている。現在のドイツチームではエジルの他にも、チュニジア系のケディラなど、中東系移民出身の選手が活躍中だ。

 このエジルの活躍に、トルコのナショナルチームが反応した。ヒディンク現トルコ監督(ワールドカップ日韓大会のときの韓国チーム監督)がトルコの主要日刊紙「ミリエット」で、「ドイツはエジルのパスポートを偽造した!」と述べたのである (トルコ語新聞の邦訳は、東京外国語大学のサイト「日本語で読む中東メディア」をご覧ください)。トルコのサッカーチームは日韓大会で三位、2008年の欧州大会でベスト4に残るなど、かなり強い。それだけに、「トルコのチームで活躍してくれれば」との思いが強いのだろう。

 エジルがドイツ国籍を選択し、トルコ国籍を捨てたのは、ドイツが二重国籍を認めていないからだ。だが、そもそも彼がドイツ国籍を得ることができたこと自体が、大きな変化である。従来ドイツは国籍の付与に血統主義を取り、外国人の帰化に厳しい制度を取ってきた。その国籍法が2000年に改正されて、一部出生地主義を取り入れたのだ。ドイツで生まれ育った移民三世のエジルに国籍が与えられたのは、この国籍法の改正によってである。

 エジルの活躍は、ドイツに住む中東系移民の自慢の種だ。英国紙「インディペンデント」は、ワールドカップが始まるとともにドイツ旗を軒先に掲げたアラブ系移民の話を掲載した。エジルに限らず、多くの移民系プレーヤーを抱える新世代ドイツチームの快進撃は、この国籍法改正の成果とも言えるかもしれない。

 もちろん、すべての中東系移民にエジルのような成功が約束されているわけではない。多くの移民は国籍がとれず何年も待たされるし、ネオナチのような人種主義、排外主義の攻撃にあうことも少なくない。最近の欧州を覆う不景気で、出身国に戻らざるを得ない移民もいる。

 それでも、トルコ系移民のなかには、2年前に緑の党党首にまで上り詰めたジェム・オズデミル(トルコのメディアは、「ドイツのオバマ出現!」と大絶賛だ)のような政治家も生まれている。外国人が人口の一割を占めるドイツ。多文化共生の今後の発展に、サッカーチームの活躍が一役買うことになるのだろうか。

 追記: エジルの活躍もままならず、ドイツはスペインに負けてしまった。エジルにとっては、1571年、レパント海戦でオスマン帝国海軍がスペインに負けた、その史実の再来とでも云うか。でもその10年後にオランダがスペイン支配から脱して独立するので、最後はオランダの勝利? (7月8日記)

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米バークシャー、24年は3年連続最高益 日本の商社

ワールド

トランプ氏、中国による戦略分野への投資を制限 CF

ワールド

ウクライナ資源譲渡、合意近い 援助分回収する=トラ

ビジネス

ECB預金金利、夏までに2%へ引き下げも=仏中銀総
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 5
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story