コラム
酒井啓子中東徒然日記
スカーフとサッカー
4月初め、世界が「イランの核開発問題」に関心が集まっていたとき、イランの女子サッカーチームがひとつの不幸に見舞われていた。今年8月にシンガポールで開催予定の第1回ユース五輪のサッカーの試合に、イラン女子チームの参加が拒絶されたからである。
何故? 理由は選手たちがスカーフを被って試合に臨んだからだ。イスラームでは、女性は髪を男性に見せないようにせよ、と教えられている。特にイスラーム体制下のイランでは、公共の場ではスカーフの着用が義務づけられている。これが、「政治的、宗教的、個人的主張を示してはいけない」というFIFA の規程に触れた。
イスラーム教徒の女子選手のスカーフが問題になったのは、イランに限ったことではない。イスラーム教圏では、髪を隠すイスラーム教徒用スポーツウェア産業が発展するほどスポーツ選手を目指す女子は増えている。なのに、イスラーム教徒だというだけで国際試合にでれないなんて、差別じゃないか!という批判は、あちこちで聞かれる。
結局この問題は、5月はじめにFIFA が「スカーフじゃなくて帽子ならOK」と妥協して、決着がついた。
ところで、スカーフといえば、今イランでは「ちゃんとスカーフを被ろう」運動が真っ盛りだ。保守派の宗教界を中心に、イラン人女性の服装の乱れを糾弾する声が高まり、「地震などの天災は服装の乱れから来る」などと主張する宗教家まで出現して、イラン社会は一気に保守化ムードである。
これは去年からイラン国内で高まった改革派の反政府運動に、多くの女性が加わっていることと無関係ではない。政府批判を繰り返す女性や若者を、「イスラーム的に堕落している」と取り締まることで、反政府活動を押さえ込もうとしているのだろう。そういえば、3月はじめに逮捕された映画監督、バナーヒ氏の代表作「オフサイド・ガールズ」は、サッカー観戦を許されない女の子が、男の子に扮してワールドカップ予選会場に入ろうと奮闘する、というものだった。
しかし面白いのは、専制を強めるアフマディネジャード大統領もまた女性の服装厳格化に熱心か、といえば、実は案外そうではないことである。4年前に「女子がサッカー観戦してもいいじゃないか」と言って保守派の反発を食らったのは、アフマディネジャードその人である。2008年には、「服装を厳しく取り締まるのはいかがなものか」とまで発言した。
イラン政府としても、女性票の獲得とイスラームの規律徹底の間で、ジレンマにある。「服装の乱れを正そう」キャンペーンを展開する一方で、最近女性労働者への待遇改善を打ち出したのは、そのせいだ。
厳しい服装規程を強要されるのもイヤ。でもイスラーム教徒としてのアイデンティティーであるスカーフを否定されるのもイヤ。イスラーム教徒女子を取り巻く環境は、厳しい。
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