コラム

この20年間は何だったの? イラン・イラク関係

2009年12月23日(水)19時45分

 年末も押し詰まって、ひやっとするニュースが飛び込んできた。「イラン軍、イラク油田を占拠!」えっ? 80年代の悪夢が再び、なのか?

 事件は18日、イラン軍兵士がイラク南東部のファッカ油田に入り込み、イラン国旗を掲げて「ここはイラン領だ」と主張したことから起きた。あわててイラン政府に抗議するイラク政府。おりしもイラクでは、ロイヤル・ダッチ・シェルなど、欧米の大手石油企業との南部油田開発契約が仮調印されようとしていた矢先のことである。石油関係者に衝撃が走った。日本企業も他人事ではない。石油資源開発がイラクで始めて油田開発権を獲得し、いざ復興事業へ、と乗り出したところだからだ。
 
 動いた兵士の規模が小さかったことと、2日後には一応「撤退」が伝えられたことで、とりあえず大事には至っていない。イラク油田開発に殺到する外国企業や、来年3月に予定されているイラクで国会選挙に対する牽制、といったところだろう。
 
 だが、「イランがイラク領に野心を持っている」というのは、戦後のイラク国民に広く共有されている危機意識だ。特に米軍撤退後のイラクの安全保障をどうするか、という議論の中で、最も想定される「外国の脅威」は、なんといってもイランである。今回の行動が、その危機意識を一気に高めたことは確実だろう。
 
 イラン・イラク間の国境問題は、古くは19世紀にまで遡ることのできる、歴史の長い問題だ。両国とも、相手の国の政情が混乱した時期を狙って、行動を起こす。70年代半ば、イラク軍が国内でクルド勢力の反政府活動に悩まされていた時、イラク政府はあの手この手で干渉するイランに妥協を余儀なくされて、国境問題で譲歩した。その5年後、イラン革命で混乱するイランにイラク軍が総攻撃をかけ、80年にイラン・イラク戦争を始めた。そして今、戦後未だ不安定なイラクは、イランの格好のターゲットだといえる。

 イラン・イラク戦争で、イスラーム政権のイランを勝たせるわけにいかない、と考えた欧米諸国は、フセイン政権のイラクを支援したが、そのフセイン政権の息の根を止めたのもまた、欧米諸国だった。欧米の支援で「イラク勝利」で終えたイラン・イラク戦争の終わり方が「正しくない」、とイランが考えたとすれば、22年前に終わったイラン・イラク戦争は、「終わっていない」。

 勝ったのに戦利品のなかったイラン・イラク戦争の代わりに、別のところから戦利品を捕ってこよう、と考えて行われたのが、イラクのクウェート侵攻である。その結果湾岸戦争を招き、経済制裁を招き、あげくはイラク戦争を招いたイラクにしてみれば、行き着く先が22年前に終わったイラン・イラク戦争の再開だとすれば、なんともやり切れない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story