コラム

夏休みでも師は走る

2009年07月22日(水)17時37分

 夏休みが始まった。日々の通勤電車にレジャー姿の子供連れが増えると、ああ世間では夏休みなんだなあ、とわかる。

「学校の先生」という夏休みがある「業界」は、さぞかし長い休みを満喫していると思われるだろう。学生の頃、教授が「平日家でぶらぶらしていると近所に『怪しい仕事をしている人では』と疑われてねえ」とこぼしていたのを覚えている。

 しかし、昨今の大学事情は、30年前とは一変している。大学によりけりだが、8月半ばぐらいまで期末試験が続いたり、学生の夏休み中も会議会議で、あれこれ走り回っている。学生を育てたり研究を進めたりするのに、さまざまな資金を獲得しなければならず、そのための申請書書きや事業報告をせっせと書く毎日だ。

 申請書書きが終わったら、パワーポイントを駆使してのプレゼン。ううん、入札に臨む営業マンさながらである。研究成果なら1時間も2時間も報告して全然苦にならない象牙の塔の住民が、アニメ、動画を駆使した5分のプレゼンに、四苦八苦しながら何日もかけて準備する。ある教授は、何百枚もある書類を見せてくれて、「これが私の今年の業績です」と、自嘲気味に語った。

 学生時代、大学に残って研究するのは社会に適応できないからだと、教授に諭されたことがある。だが社会に適応できないオタクだからこそ、朝も夜もなくこつこつ研究に没頭して、社会人には見えない大発見をするんだ、と。実際、歴史上の偉大な発明家には、変人奇人扱いされている者が多い。奇人変人になってでも研究に没頭できるほどの根性はないなあ、と思った私は、さっさと就職した。なのに大学に残っても毎日書類書きに追われているようでは、とても大学が偉大な研究者を生むとは思えない。

 今回、こうした「愚痴」を認めた訳は、ある訃報に接したからである。中東・イスラーム地域を研究する著名な社会人類学者、大塚和夫氏が3ヶ月ほど前、わずか50歳代で亡くなった。過去4年間、書類書きや「営業」に忙殺されて、無理がたたられたのだろう。事務も教育も完璧主義でこなしつつも、生前しばしば、「早く本来の学者生活に戻って研究成果をまとめたい」とこぼしておられたそうだ。
 
 麻生首相は今年初め、「ノーベル賞を受賞できるような人材育成を」と、日本の研究水準の向上を促したが、本1冊買うのに本を読むより長い時間をかけて書類を書かなければならない、という現状を打破するような「大発明」を誰かしてくれれば、ノーベル賞とはいわずとも、イグノーベル賞ぐらいもらえるのではないだろうか。

 ノーベル賞学者を輩出する前に、ノーベル賞候補の学者が若くして寿命を縮めている「大学の現状」を、どけんかしてくれ、といいたいところである。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエルがテヘラン攻撃、戦争終結へ交渉進展とトラ

ワールド

豪中銀、ホールセール金融市場におけるトークン化に将

ワールド

焦点:パキスタンが米・イラン紛争の仲介役に浮上、双

ワールド

レアアース調達、日米が先行 韓国・独は不足に直面 
MAGAZINE
特集:BTS再始動
特集:BTS再始動
2026年3月31日号(3/24発売)

3年9カ月の空白を経て完全体でカムバック。世界が注目する「BTS2.0」の幕開け

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中国の公衆衛生レベルはアメリカ並み...「ほぼ国民皆保険」を達成した中国の医療保険の実態とは
  • 2
    三笠宮彬子さまも出席...「銀河の夢か、現実逃避か」モナコ舞踏会に見る富と慈善
  • 3
    【クイズ】2年連続で「世界幸福度ランキング」で最下位になった国はどこ?
  • 4
    レストラン店内で配膳ロボットが「制御不能」に...店…
  • 5
    イランは空爆により核・ミサイル製造能力を「喪失」…
  • 6
    意外と「プリンス枠」が空いていて...山崎育三郎が「…
  • 7
    スペイン王室、王妃と王女の装いに見る「母から娘」…
  • 8
    「買ったら高いじゃん?」アカデミー賞会場のゴミ箱…
  • 9
    まずサイバー軍が防空網をたたく
  • 10
    「日本人のほうが民度が低い」を招いてしまった渋谷…
  • 1
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期スペイン女王は空軍で訓練中、問われる「軍を知る君主」
  • 2
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え時の装いが話題――「ファッション外交」に注目
  • 3
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が発生し既に死者も、感染源は「ナイトクラブ」
  • 4
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公…
  • 5
    第6回大会を終えて曲がり角に来たWBC
  • 6
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する…
  • 7
    【衛星画像】イラン情勢緊迫、米強襲揚陸艦「トリポ…
  • 8
    【銘柄】「三菱商事」の株価に高まる期待...ホルムズ…
  • 9
    韓国製ミサイル天弓-II、イラン戦争で96%迎撃の衝撃 …
  • 10
    「マツダ・日産・スバル」が大ピンチ?...オーストラ…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 4
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 5
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 6
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 7
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 8
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 9
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 10
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story