コラム

福島第一原発の凍土壁は安倍首相の面子を守る「万里の長城」

2014年06月04日(水)16時37分

 福島第一原発で「凍土壁」の工事が始まった。これは事故を起こした原子炉からもれる水が地下水を汚染するのを防ぐため、地下30メートルまで凍結管を打ち込み、土を凍らせて地下水をブロックする工法だ。全長1.5キロメートルで、約320億円の国費を投入する。

 私は先月、福島第一原発を見学して、この凍土壁を建設する現場も見たが、率直にいって何のためにつくるのか、理解できなかった。地下水を止めても、雨が降るかぎり地下水の汚染は止まらない。こんな高度な技術に投入する予算があったら、施設に蓋をしたほうが早い。

 しかしそれは国費ではできない。昨年、安倍首相がオリンピック招致のとき「国が前面に出る」と宣言して470億円の「予備費」を支出することを決めたが、これは国が私企業に出す金なので、普通の土木事業には使えない。凍土壁は、世界にない技術の「研究開発」として、財務省が国費の支出を例外的に認めたからだ。

 だから凍土壁の目的は地下水を汚染から守ることではなく、安倍首相の面子を守って「何かしている」というアリバイをつくることだ。地元の人々は「万里の長城」と呼んでいるが、本物の長城も異民族の侵入を防ぐ役には立たなかった。

 そもそも汚染水の処理は、廃炉の本来の目的ではない。事故を起こした1号機から3号機までの底には、溶けたままの核燃料が「デブリ」と呼ばれる固まりになって残っており、これを安全な状態にすることが廃炉の目的だが、今はその前の汚染水の処理で作業が手一杯になっている。

 といってもほとんどの汚染水は、環境基準以下の普通の水だ。原発の周辺の湾内のセシウム濃度は2~3ベクレル/リットルと、飲料水の環境基準(10ベクレル)を下回る。地下水もこの程度だから、「飲んでもいい水」を集めてタンクに貯水しているのだ。おかげで今年中に、タンクの貯水容量は80万トンに達する。

 東京電力から分社化された廃炉推進カンパニーの増田CDO(廃炉最高責任者)に「環境基準以下に薄めて流してはいけないのか」と質問すると、彼は「それはわれわれが決めるわけにはいかない」。地元の漁協などが汚染水の排出に反対し、国が何も基準を決めないため、放射性物質がゼロになるまで流せないのだ。

 特に大きな障害になっているのが、トリチウム(三重水素)である。これは水素の放射性同位体だが、その出すベータ線は空気中を5ミリ、水中を0.005ミリしか進まないので、皮膚についても体内に取り込まれる可能性はない。だからトリチウムは国も規制していないが、基準値は6万ベクレル/リットルだ。サイト内の汚染水はこれをはるかに下回るので、薄めて流すことに法的な問題はないが、国が何も判断しないので東電は貯水タンクに入れたまま処理できない。

「廃炉はいつ終わるのか」と聞くと、増田氏は「30年から40年。廃炉の定義が決まっていないので正確にはいえない」。実質的に東電の「親会社」である国が目的を決めず、環境基準についても判断しないから、東電はいつ終わるとも知れない汚染水処理を続けている。

 東電は福島第一の廃炉費用として今まで9600億円を計上しているが、今後10年でさらに1兆円を追加する予定だ。合計約2兆円は、国費でまかなわれる。支援機構が4月から「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」という名前に変わり、廃炉費用も交付国債で調達できることになったからだ。

 これは最終的には東電が返済するが、それも電気代に転嫁されるので国民負担だ。そのコストの大部分は、無害な汚染水を貯水する作業に使われている。この無駄な作業は、国が「環境基準以下の汚染水は湾内に出してもよい」と決定すれば必要なくなるが、環境省は何もしない。安倍首相が「国が前面に出る」といったきり、この問題から逃げているからだ。

 膨大な先の見えない作業を淡々と進める作業員には頭が下がるが、指揮官である安倍氏は逃げたままだ。凍土壁は来年3月から凍結を開始するそうだが、これは厄介な問題からみんな逃げて誰も責任をとらない「日本的意思決定」の象徴として、万里の長城のように歴史に残るだろう。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

韓国の尹政権、補正予算を来年初めに検討 消費・成長

ビジネス

トランプ氏の関税・減税政策、評価は詳細判明後=IM

ビジネス

中国アリババ、国内外EC事業を単一部門に統合 競争

ビジネス

嶋田元経産次官、ラピダスの特別参与就任は事実=武藤
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 5
    【ヨルダン王室】生後3カ月のイマン王女、早くもサッ…
  • 6
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 7
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 8
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 3
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 4
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 7
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 8
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 7
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 8
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 9
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
  • 10
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story