コラム

日本国債の格付けはなぜ引き下げられるのか

2011年02月10日(木)18時42分

 1月に格付け会社スタンダード&プアーズ(S&P)が日本国債の格付けをAAからAA-に引き下げたが、今度はムーディーズが日本国債を現在のAa2から引き下げる可能性を示唆した。この影響もあってか長期金利は上昇(国債価格は下落)し、9ヶ月ぶりに1.3%台に乗せた。

 S&Pの格付けは21段階中の4番目だが、AAのスペインより低い。この下のA+はイタリア、その下のAはアイルランド、A-はポルトガル、BB+はギリシャと、財政の破綻したPIIGS諸国が並ぶ。財務省は「日本国債は順調に消化されており、債務不履行になることはありえないので、この格付けはおかしい」と反論している。

 この反論は、短期的には正しい。格付けは一般に、その債券が債務不履行になる確率を勘案して行われるが、政府債務は増税でファイナンスできるので、原理的に債務不履行は起こらないからだ。日本の政府債務がGDP(国内総生産)の2倍近くなっても長期金利が安定しているのは政府に対する信頼があるからで、長期金利も主要国では最低だ。

 国債を引き受ける資金も余裕がある。邦銀の2010年末の預金残高は564兆円にのぼる一方、貸出残高は416兆円で、その差額は約150兆円と過去最大になった。この原因は企業の資金需要が少ないためで、その差額の大部分が国債保有に回っている。不況が続く限り銀行の資金過剰は続き、国債を買う余力はまだ大きい。

 では、なぜ格付け会社は日本国債をPIIGSと同格にしたのだろうか。これについてS&Pの幹部は「日本の政治情勢が不安定で財政再建の見通しが立たない」ことを理由に挙げている。長期的には、国債がファイナンスできなくなると見ているわけだ。

 昨年度の新規国債発行額は44兆円。財務省の見通しによると2013年には50兆円を超える見通しなので、余剰資金150兆円は3年余りで食いつぶす計算だ。したがって遠からず外債を募集しなければならない。海外の投資家は1%台という低い金利ではリスクの高い日本国債を買わないので、3年たたないうちに長期金利が上昇し始める可能性がある。

 長期金利が1%ポイント上昇すると、新発債と既発債の借り換えを合計した国債の発行額は約140兆円なので、国債費(国債の利払い)は1.4兆円増え、さらに財政が悪化する。もっと深刻な問題は、銀行の抱える金利リスクだ。長期金利が上がると、低金利で発行された国債の時価が下がって含み損が出る。日銀の調べによれば、長期金利が1%ポイント上がると銀行の保有債券(国債・社債を含む)の評価損は都市銀行で約4兆円、地方銀行で約5兆円にのぼる。これは邦銀全体の業務純益の3倍である。

 もちろん金利が上がり始めたら銀行は国債を売るので、こんな巨額の損失が実際に出るわけではない。しかし現在の低金利は邦銀が買い支えることを前提にしているので、売りが売りを呼ぶこともありうる。この場合「最後の貸し手」として日銀が国債を引き受けることが考えられる。

 日銀が国債を引き受けることは財政法で禁じられているが、国会が特別決議を行えば可能である。しかし日銀が国債を引き受けるということは「日本国債には買い手がいない」と内外に宣言する結果になり、売りがさらに増えて長期金利が上がるおそれが強い。これも日銀がすべて買い取れば債務不履行は防げるが、それによって大量の通貨が市場に供給され、大幅なインフレが起こるだろう。

 極端な話、70年代のように物価が5年で2倍になれば、政府の実質債務も半分になるので財政危機は緩和されるが、国債保有者の資産は半分になる。格付け会社が想定しているリスクは文字通り国が借金を返さないことではなく、このようなインフレによる実質的な債務不履行なのである。

 しかし実は、インフレによって財政危機は解決しない。財政危機でインフレが起こるのはありふれた出来事だが、戦後の多くのケースを見てみると、財政がかえって悪化することが多い。政府支出も名目額で決まっているので、物価上昇によって歳出も増えるからだ。日本でも年金は物価スライドになっているので、2倍のインフレになったら年金支給額も2倍になり、年金会計が破綻するおそれが強い。

 それでも通常の政策で財政破綻を回避することは、ますます困難になっている。1000兆円近い政府債務を増税だけで解決することは不可能であり、歳出削減も政権基盤の弱い民主党政権では無理だ。いちばん安易なのは法改正の必要がないインフレであり、日本も終戦直後にやったことがある。今後いよいよ財政が行き詰まると、政府がそういう「悪魔の誘惑」に負けるかもしれない。人為的にインフレを起こせという議員連盟ができたことは、その不吉な前兆である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国、二国間貿易推進へ米国と対話する用意ある=商務

ビジネス

ノルウェー・エクイノール、再生エネ部門で20%人員

ワールド

ロシア・イラク首脳が電話会談 OPECプラスの協調

ワールド

トランプ次期米大統領、ウォーシュ氏の財務長官起用を
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 5
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 6
    【ヨルダン王室】生後3カ月のイマン王女、早くもサッ…
  • 7
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 8
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 3
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 4
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 7
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 8
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 7
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 8
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 9
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
  • 10
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story