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コラム
池田信夫エコノMIX異論正論
政府は「無縁社会」や「孤族」を救えるのか
NHKは昨年、「無縁社会」というシリーズを組んで反響を呼んだが、今年は朝日新聞が「孤族の国」というシリーズを続けている。今の通常国会の施政方針演説でも、菅首相はこう述べた。
「無縁社会」や「孤族」と言われるように、社会から孤立する人が増えています。これが、病気や貧困、年間三万人を超える自殺の背景にもなっています。私は、内閣発足に当たり、誰一人として排除されない社会の実現を誓いました。
この方針にもとづいて政府は、福山哲郎官房副長官を座長とする「一人ひとりを包摂する社会」特命チームをつくり、その初会合を1月18日に首相官邸で開いた。このチームでは、24時間体制で相談に応じるコールセンターの設置などを提案し、2012年度中に政策提言「社会的包摂戦略」をまとめる予定だ。
NHKは「かつて日本社会を紡いできた地縁・血縁といった地域や家族・親類との絆を失った」と嘆き、朝日新聞は「昔なら身内に任せていたような役割が、今はビジネスになる。ゆりかごから墓場まで、誰かに家族の代わりを務めてもらわなければ、うまく生きていけない」と書いている。そこには、かつてあった「有縁社会」が本来のあり方で、今は間違った状態だというイメージがあるようだが、それは本当だろうか。
たしかに戦後しばらくまであった農村などのコミュニティのつながりが希薄になったことは事実だが、高度成長を支えたのは、農村の次三男が故郷を離れて都会で働く集団就職や出稼ぎだった。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、1958年に集団就職で上京した少女の物語だが、そこに描かれているのは、不安もあるが新しい同僚や恋人ができ、希望に満ちた時代だった。高度成長期には、人々は進んで無縁社会を選んだのだ。
若者は都会に就職し、会社という共同体で「有縁化」されて企業戦士になった。企業は彼らに終身雇用と年功序列を保障し、年金・退職金や福利厚生施設で手厚く守った。それは急速に成長する日本で不足していた労働者を企業に囲い込むシステムだった。「無縁化」は、今に始まったことではない。それは都市化の一面であり、元に戻すことは不可能である。
いま起こっているのは、いったん無縁化された人々が、都会の中で会社という形で再編成されたコミュニティ(社縁)の崩壊だ。90年代後半の信用不安で倒産・失業が増えた時期に自殺率が急増したことも、これと無関係ではない。かつての集団就職では都会に憧れた若者が自発的に故郷を離れたが、いま社縁を失った中高年の労働者には行先がない。自民党政権はその雇用をつくろうとして公共事業を繰り返したが、それは今、巨額の財政赤字となり、さらに多くの雇用を奪うかもしれない。
菅首相の思いとは違って、無縁社会は必ずしも悪ではない。施政方針演説では「労働者派遣法の改正など雇用や収入に不安を抱える非正規労働者の正社員化を進める」という方針が改めて表明されたが、政府が派遣労働を規制しても、派遣社員は職を失うだけで、正社員にはなれない。会社が社員を「包摂」するシステムは決定的に崩れており、それを政府が再建することはできないのだ。
近代社会の原則は、自分の生活は自分で働いて支えることである。政府の仕事は人々の機会均等を保証することであって、結果の平等を求めることではない。崩れつつある日本の会社ネットワークを政府が延命することは、財政的に不可能であるばかりでなく、人々を幸福にすることもできない。政府は余計なおせっかいをやめ、個人の自立を支援するという役割に戻るしかない。
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