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コラム
池田信夫エコノMIX異論正論
アメリカ中間選挙の「茶会事件」を生んだ反政府の伝統
2日に行なわれたアメリカの中間選挙は、共和党の予想以上の圧勝だった。中でも注目されるのは「ティーパーティ」(茶会)と呼ばれるボランティアのグループが共和党の右派候補を支援し、その多くを当選させたことだ。ティーパーティの実態は各州でバラバラで、まとまった指導部があるわけでもないが、この名称が彼らの思想をうまく表現している。
もちろん、これはアメリカ独立戦争のきっかけとなった1773年の「ボストン茶会事件」にちなむもので、オバマ政権の大規模な財政支出に反対し、独立当初の「小さな政府」に戻せという思想を表明したものだ。彼らは一般には保守派と呼ばれるが、その根底にあるのは既存の秩序を保守するというより、中央集権的な国家を拒否する「反政府」の伝統である。
これはアメリカ合衆国の独特な成り立ちによるところが大きい。初期のアメリカの「邦」(State)は本国で迫害された移民の集まりで、全土をまとめる国家はなかった。それがイギリスとの戦争のためにまとまる必要に迫られ、独立後にできたのが合衆国憲法である。これは連邦政府が邦を「州」として結びつけるとともに対外的に代表して外交・戦争などを行なうための各州の契約ともいうべきものだ。
このため初期の合衆国は現在の欧州連合(EU)ぐらいのゆるやかな連合体で、憲法はマーストリヒト条約のようなものだった。連邦政府の権限が強まってイギリスのようになることを警戒する各州に対して、建国の父は連邦政府の必要を説かなければならなかった。こうしたフェデラリスト(連邦派)とアンチ・フェデラリストの対立はいまだに続いており、ティーパーティは現代版のアンチ・フェデラリストといえよう。
「伝統に帰れ」というスローガンは、普通の国では昔からのしきたりに従えという意味になるが、古来の伝統や身分制度のなかったアメリカでは、神のもとに平等の個人が出発点なので、「建国の精神に帰れ」というのは「連邦政府はいらない」という意味になる。いわば反政府の遺伝子が、アメリカの伝統には組み込まれているのだ。
ティーパーティの代表ともいうべき存在が、2008年の大統領選挙で共和党の副大統領候補になったサラ・ペイリンである。今回の圧勝で彼女が2012年の大統領選挙で共和党の最有力候補になったともいわれるが、ティーパーティはキリスト教原理主義と結びついているなど、危うい面も多い。あまり極右化すると、60年代にベトナム反戦運動を代表して大統領候補になったマクガバンのように共和党が大敗するという指摘もある。
しかし、このように政府を疑い、個人の自由を守ろうとする建国の精神が、かつて大きな政府に終止符を打ってアメリカ経済をよみがえらせた原動力だ。2008年の金融危機によって小さな政府の時代は終わったともいわれたが、今回の選挙結果は、政府の肥大化を警戒する伝統が根強いことを示した。
ところが日本ではこのような対立軸ができず、自民党は大きな政府を利益誘導に使い、民主党はさらに大きな政府でバラマキ福祉を続けている。アメリカでは「このままでは政府債務の残高がGDP(国内総生産)を超える」とオバマ政権が批判を浴びているが、日本の政府債務はGDPの2倍をまもなく超える。
今はデフレのおかげで、巨額の国債が低金利で消化されているが、この皮肉なバランスがそう長く続くとも思えない。デフレの終わるときは、金利の上がり始めるときだ。金利が1%上がっただけで、財政赤字は10兆円増える。大きな政府のリスクを日本人が本当に痛感するのは、これからだろう。財政赤字と過剰規制で活力が失われる一方の日本から見ると、大きな政府を拒否するアメリカの伝統は健全に見える。
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