コラム

「強い社会保障」が財政危機を招く

2010年09月09日(木)11時30分

 8月31日に提出された政府の来年度予算の概算要求は、過去最大の96.7兆円にふくれ上がった。各省庁に一律1割カットのシーリングを課したにもかかわらず、要求額が今年度予算より1.4兆円も増えたのは、「強い社会保障で強い経済」を唱える菅内閣が社会保障関係費の「自然増」1.3兆円をシーリングの対象外にしたからだ。

 民主党の代表選挙でも、菅首相が「消費税を社会保障の財源にする」とのべて増税を示唆しているのに対して、小沢前幹事長は子ども手当の満額支給を主張しており、社会保障の削減はどちらの視野にも入っていない。民主党は昨年の総選挙で「自民党政権のバラマキ公共事業で財政赤字が積み上がった」と批判し、「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズを掲げて政権を取ったからだ。

 しかし、これは事実誤認である。図のように、公共事業費は1998年をピークとして減少し、今年度予算では一般会計歳出の6.3%しかない。これに対して社会保障費は一貫して増え続け、今年度は27.3兆円と一般会計の3割を占める。財政赤字の最大の原因は、急速な高齢化で増え続ける社会保障費なのである。それでも小泉政権のときには増額を抑制する方針がとられたが、これを民主党が「福祉の後退」などと批判したため、2007年以降は社会保障費が急速に増えた。財政危機の最大の原因は、コンクリートではなく人なのだ。

一般会計の社会保障費と公共事業費(兆円)/財務省調べ
 

 しかも一般会計の社会保障費は氷山の一角である。この他に厚生労働省の所管する特別会計が84.3兆円あるので、社会保障関係の歳出は111.6兆円にのぼる。特別会計のうち65兆円が年金給付で、一般会計のうち17兆円も老人福祉・老人医療費だから、社会保障費の73%が老人のために使われているのだ。このように社会保障が高齢者に片寄っている国は珍しい。

 つまり「強い社会保障」の実態は、勤労世代から高齢者への所得移転なのである。本来の社会保障は所得分配を平等にするものだが、日本の社会保障はこのように所得に関係なく年齢で再分配するため、かえって不平等になる。高齢者の資産は家計貯蓄の2/3を占めるため、貧しい若者の勤労所得を豊かな老人に分配する結果になっている。

 このように巨大なひずみが生まれた最大の原因は、年金給付を同時期の現役世代が負担する「賦課方式」という年金制度にある。これは労働人口が増えていて年金受給者より現役世代のほうがはるかに多かった時代にはよかったが、急速な高齢化が進むと負担が急増する。今は現役3人で高齢者1人を支えているが、2012年ごろから団塊の世代が引退して急速に高齢化が進むため、2023年には現役2人で高齢者1人を支えなければならない。

 日本の年金会計による所得移転の規模は世界最大で、今の給付水準を今後も維持するためには500兆円以上も積み立て不足になっている。これをすべて現役世代に負担させると、以前のコラムでも紹介したように、現在の60代以上と将来世代で一人あたり1億円近い世代間格差が生じる。

 逆に今の負担で年金収支をバランスしようとすると、専門家の計算によれば、支給開始年齢を平均寿命ぐらいに引き上げる必要がある。年金を長期的に維持可能にするには、賦課方式を「積立方式」に切り替えるなど、抜本的な制度改革が避けられないが、菅首相も小沢氏もこうした問題にはほとんどふれない。高齢者が彼らの選挙基盤だからである。「高福祉・高負担」というのは、実は「老人の高福祉・若者の高負担」なのだ。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

JPモルガン、FRB利下げ予想12月に前倒し

ビジネス

インフレ2%維持には非エネルギー価格の減速必要=レ

ビジネス

長城汽車、欧州販売年間30万台が目標 現地生産視野

ビジネス

第一生命HD、30年度利益目標引き上げ 7000億
MAGAZINE
特集:ガザの叫びを聞け
特集:ガザの叫びを聞け
2025年12月 2日号(11/26発売)

「天井なき監獄」を生きるパレスチナ自治区ガザの若者たちが世界に向けて発信した10年の記録

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 4
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 5
    7歳の娘の「スマホの検索履歴」で見つかった「衝撃の…
  • 6
    がん患者の歯のX線画像に映った「真っ黒な空洞」...…
  • 7
    ミッキーマウスの著作権は切れている...それでも企業…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    ウクライナ降伏にも等しい「28項目の和平案」の裏に…
  • 10
    あなたは何歳?...医師が警告する「感情の老化」、簡…
  • 1
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判殺到、そもそも「実写化が早すぎる」との声も
  • 2
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 5
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 6
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 7
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 8
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 9
    【銘柄】イオンの株価が2倍に。かつての優待株はなぜ…
  • 10
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story