コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
「民間金融」の罪
「中国の金融改革はとても大きな問題を抱えている。民間企業には金融が開放されていない。銀行は民間企業にはお金を貸してくれないんですよ」
2008年初め、わたしがインタビューした農村企業家の孫大午氏は悔しそうに言った。孫氏は出身地の農村で手広く農業製品を取り扱う会社を興したが、03年に取引先の農家3千軒から1億元(当時のレートで約15億円)を超える資金を借り入れたことが「違法資金調達」とみなされ、執行猶予付きの有罪判決を受けた。だが日ごろから農村の現状や農民の起業の難しさについて各地を飛び回って講演し、さらには中国首脳が暮らす中南海でも講義を持ったことのある彼の逮捕に、彼の活動に注目していた人たちから大きな声があがった。
彼が銀行ではなく民間から資金を集めざるを得なかったのは、冒頭で触れているように国営の銀行から民間企業が融資を受けることが難しいという背景があった。一番簡単な理由として中国では民間企業の増大に金融機関の数が追い付いていない。だから企業家がまとまったお金を借りようにも、借りる側の競争が激し過ぎて順番が回ってこない。特に貧しい農村には銀行は支店を開きたがらず、そのサービスを受けように受けられないという背景があった。孫氏の地元も銀行どころか公的な学校や職業訓練所も満足になく、彼は豊かになるための基礎作りを「公」に頼っていてはらちが明かないと、会社の敷地内に中学校や職能学校、さらにはその宿舎を作り、農業を営む農民だけではなくその子供たちが教育を受けて社会に出ていくための支援を行っていた。
しかし、会社の規模が大きくなるにつれ、それに目をつけた官吏たちが「検査」と称して法律をタテにやってきてその費用を徴収したり、時には袖の下を要求されたりするようになる。村レベルの作業が終わると市が再検査、その次に省の検査......が延々と続く。そのたびに煩雑な手配や費用を請求され、一部にはそれを回避するために袖の下を渡すという習慣も出来上がっていたが、孫氏はそれを拒絶した。彼はそのために公的機関から融資を受けられないという嫌がらせを受け、取引のある農民や職員に資金出資を求めたところを、「大衆の預金を非合法に吸収した」と罪に問われた。
中国でも高利貸しは存在し、もともと顔見知りの人間同士が民間が持つ余剰資金を融通し合う習慣も長年の伝統的な金融方法として存在していた。だがそこを「待っていました」とばかりに孫氏だけが罪に問われたのは行政機関の報復によるもので、いわゆる「選択型法執行」だと支援者たちは理解していた。
この取材で知った「民間金融」、そして「選択型法執行」について調べてみると、これらの言葉はどちらも実際には中国社会では大手を振って語られる話題ではなかったが、多くの地域で暮らす人々が認識している「現実」だった。
それから3年後の昨年、「民間金融」の隠れた試験モデル地域とみなされてきた浙江省温州市での破たんが明らかになった。孫氏が「企業の資金源」と持ち上げた当時の民間金融は個人がその資金を「貸し」「借り」して資金が流通していたのだが、その後リーマンショックを受けて国が09年から進めた「4兆元経済刺激」を目的としたばらまきプロジェクトを受けて大きく様変わりした。簡単に言えば、経済振興資金が銀行に流れ込み、銀行がそれを高利息での回収を見込める民間金融のサイクルに投入したのである。
そこから民間金融は企業などの支援融資よりも投機的な色合いを強め、敷居を低くした銀行から借り入れたお金を不動産投資に回すことで儲けようとする人たちが激増。だが、その過熱し過ぎて昨年初めに急きょ不動産投機引き締め政策が施行され、それまで「借りて貸す」あるいは「借りて返す」の連鎖で成り立っていたサイクルがあちこちで断ち切れてしまった。
もともとは民間互助組織だった民間金融の破綻に対して最初は中央政府は表立った解決策を採らなかった。しかし、特別措置で国から予算を受けていた銀行、大手国有企業や中央省庁まで利ザヤを狙って民間金融に資金を流していたことが明らかになるにつれ、その破たんが直接国庫へ影響するようになった。今やっと、この「民間金融」を国としていかに扱っていくべきなのか、「民間金融」に頼るしかない状態の民営企業の資金調達問題をいかに解決すべきなのか...という議題が、金融政策において語られ始めたところだ。
だがその一方で孫氏と同じような民間の「悲劇」はまだ続いている。今年1月18日には違法資金調達の罪で一審、二審で死刑判決を受けた、31歳の若い女性経営者の再審請求が棄却された。
この女性、呉英被告は子供のころから父の借金で苦労し、15歳の時から美容院の共同経営を始めたという。そうして26歳になった2006年にはカラオケ店やホテル、建材会社、ウェディングサービスや物流など8つの会社を運営し、その資産額はなんと約38億人民元(当時のレートで約550億円)で全国の富豪リストに名を連ね、女性富豪のランキングでも6位につける「謎の人」となった。しかし、翌年に孫氏と同じ「大衆の預金を非合法に吸収した」という名目で逮捕されたのである。
彼女の罪状は、取引先や知人から事業資金として7億7千万元(同約120億円)を「だまし取り」、それを「贅沢三昧に使い」、「贈賄し」たとされた。しかし、呉被告は「取引先や知人という閉じられた関係の中から会社運営のために借りたものであり、『広く大衆から調達』したわけではない。また借り受けた際に約束した通り企業運営資金として使っており、だまし取ってはいない。それに個人の『贅沢三昧』にも使っていない」と反論した。
確かに不思議なことに、彼女が罪の軽減を求めて提出した贈賄先の官吏一覧表も、そのすべてが処分されたわけでなく、ここにも「選択型法執行」の存在が見え隠れする。実際には呉被告は逮捕前の06年に一部債務者に誘拐され、現金や小切手などを奪われ、また強制的に文書に署名させられたことがあるらしいが、それを届け出ても警察がまったく動かなかったという前例があった。彼女の逮捕も地元の実力者がその警察への届け出に怒ったからだと言われており、また「地元からの死刑判決嘆願書」が出ているという噂も流れている。
北京在住の人権弁護士の滕彪氏は1月の再審請求棄却直後に、「呉英事件は我々に関わる問題だ」というブログエントリを書いて訴えた。
「呉英は民間企業家として友人たちから金を借りて事業を営んでいた。詐欺を働いたわけでもなく、それを個人資産化する目的もなく、発端はただの民事紛争でしかない。そこに公権力がなぜ割って入るのか? 被害者はおらず(彼女は7.7億元を借り入れたが、債権者11人は詐欺行為を否定している)、公安や検察はなぜ彼女を殺してしまいたいのか? もし彼女の調達資金が個人資産化を目的にしたのであれば、彼女はなぜ巨額の固定資産投資や事業を行う必要があるのか? 警報においては社会的な危害を持たないものは犯罪ではないとされる。呉英のどこに社会的危害があったのか?」
今や、呉英事件は、金融事情のゆがみのみならず、民事と刑事の境、民間金融の存在意義、さらには公的権力の範囲や司法行為の正当性までまたいで注目される事件となっている。2月14日、最高法院は呉英被告の死刑再審請求を受け入れ、四たびこの事件に対する審議が行われることになった。
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