コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
投票という「権力」:台湾総統選後感
「どっちが勝ってもたいした違いはないよ。でもね、ぼくは馬英九に入れる。だって蔡英文が勝てば、中国との間がごたごたして台湾の経済が悪くなるかもしれないし、そうなったら不動産価値が下がるだろ。それは避けたいんだ、ただそれだけ。でも、本当のところ、どっちが勝っても違いは本当にないんだよ」
台湾総統選前夜、香港で会った台湾人の友人はこう言った。彼は投票するようになって以来、ずっと国民党候補に投票してきたそうだ。それほどまでにこだわりのある彼があっさりと、今回の選挙を「どちらが勝っても違いはない」と何度も言ったことに驚いた。
結果はもうすでに皆さんがご存じのとおりである。国民党の馬英九総統が民進党代表の蔡英文候補に80万票の大差をつけて続投を決めた。選挙前には、現地メディアが「接戦になる」と伝え続けていたせいかもしれないが、外国メディアの多くが「蔡総統」の実現を心のどこかで期待していた印象を受けた。わたしもそんな雰囲気の影響を受けていたのだろうか、冒頭の友人の意外な言葉と表情にくぎ付けになった。
「本当に国民党がダメなら4年後にまた政権を交代させればいいわけだし。8年ごとに政権を交代させていけばお互いに経験を積み、無茶なこともできなくなるよ」と彼が続け、またわたしは目を剥いた。ずっと国民党候補への投票にこだわり続け、実際に陳水扁前総統(2000年に民進党から出馬。04年に続投を果たすも08年の離任後に汚職容疑で逮捕、服役中。その後民進党からも離党)を罵っていたのに、ここでこれまた簡単に「政権交代」を口にするようになった彼。台湾総統の任期期限は8年だがそれを政権交代のサイクルと見なしているという落着き方も新鮮だった。
台湾総統選といえば、前回4年前の選挙までいつも丁々発止のやり合いが続き、簡単に我々の想像する選挙「戦」のイメージを超えていた。激しい罵り合いやぶつかり合い、中傷合戦に銃弾まで飛び交う騒ぎ(04年)まであり、いつも勝てば官軍、負ければなんとやら、さらには結果が出た後も社会にじくじくと相手候補への恨みつらみが残り続け、それが当選者に対してだけではなく、負けた側内部での足の引っ張り合いに発展し、お世辞にも潔いとは言えない場面が続くのが伝統だった。
わたし自身も、前回の選挙で敗れた民進党候補の支持者が「民進党は政権経験が浅いんだから、世間は彼らに経験を積ませるよう仕組むのがフェアというもの」と言い、周囲がうんうんと深くうなづいたのを見て、「選挙」についての意識の違いに腰が抜けそうになった。「じゃあ、いつまで民進党に政権を与え続ければ『フェア』と言えるの?」と尋ねると、「国民党は数十年も政権についてきたんだから、それくらい」という答にこれまたずっこけた。子供ではない、ちゃんとした大人の弁なのだ。それくらい、ねちねちとした恨みつらみが台湾の政治の土台にあった。
もともと、国共内戦に負けて台湾に逃れてきた国民党が率いる「外省人」(「台湾省以外の出身者」という意味)に対して、その国民党に長きにわたり支配されてきた台湾省人「本省人」たちが中心に出来上がった民進党という図式がある。それらが分離分裂を繰り返しながらも、前回の選挙まではその出身の違いが政治色彩図をきれいに塗り分けてきた。「外省人」と「本省人」という色分けはある意味わかりやすいが、しかし分かりやすいだけに勢力派閥が明らかで、これが対立を際立たせてきたのは否めない。
だが、冒頭に挙げた彼は「本省人」に属する。今や中国とも縁が深い香港で働く彼は、かつて「台湾独立」を叫び、中国と一触即発にまでなりかけた民進党ではなく、敢えて国民党に投票を続けている。彼の暮らす香港からは、中国からの香港政治への干渉に対する反発から、かつて中国に激しくたてついた民進党を支持する民主党派関係者が、今回大挙して台湾に押し寄せた(それでもって民進党本部で香港人同士の仲間割れを演じてみせるという醜態を演じるという蛇足付き)。
それが今や「どっちが総統になっても変わらない」と言う有権者が現れたことは注目に値する。もちろん、長年にわたって積もり積もってきた歴史や恨みはそう簡単には消え去らず、今年の選挙でもやはり外省人の多い台湾北部は国民党、本省人の多い南部は民進党のそれぞれの票田という色分けは変わっていない。それでも、「8年に一回、政権を交代させ続ければ、台湾の政党や政治家も成長していくはずだ」という声は友人だけではなく、ネット上でもかなり目にした。
4年前にわたしが耳にした「かつての国民党のように、ずっと政権を与えてくれ」が、次第に「8年ごとに交代すればいい」に変わっていく過程には、ある程度「台湾の未来における共通認識」が出来上がったといえるだろう。実際に馬英九現総統は08年に就任して以来、中国と経済的な関係が深まっていく中でも「中華民国」(国民党が上げる国号)を口にする。一方の蔡英文民進党候補も、陳元総統のような激しい他者や中国への攻撃、あるいは台湾独立を口にしない。どちらにも所属する陣営からは「譲歩した」という批判の声も上がっているが、前回08年の選挙以降新たに陣営トップとしてその役割を担った2人が、明らかに理性的な現実路線を踏み出した結果と言えるだろう。
友人の話を聞きながら、わたしは台湾の民主政治の「成熟」を感じていた。選挙戦に関心を寄せた周囲の人からは、強権中国とつながる者への反発からか、それとも長い間虐げられてきたという歴史を持つ「本省人」を代表するグループに対する同情からか、民進党が負けたことに無責任な不満を述べる人もいる。だが、敗選後の蔡英文候補は潔かったし、「選挙に負けた」責任をほかに擦り付けるでもなく、事実として受け止め、選挙の結果を尊重する態度を示した。これはどちらが勝っても負けても、これまでほとんど見られなかった態度だ。
「いいんだよ、これで。政権交代を経てゆっくり経験を積ませていけば。ぼくらには8年に1回、政権を交代させる権力がある」。穏やかな表情で友人は言った。彼はここで、それを「権利」ではなく、「権力」という言葉を使った。
そうか、有権者にとって投票は「権力」なのか。民主主義を生まれた時から謳歌している我々を振り返ってみて、ふと「投票は我々の権力」という意識はあっただろうかと感じた。
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