コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
「キーボード民主と書斎革命」
今年最後のコラムはやはり今年一年のまとめがいいかな?と思っていたところに、偶然かそれともなにか関連性があるのか、次々といろいろな話題が到来した。
まずその一つは、手前味噌で恐縮だが、昨年8月に当時連載中だったメルマガ「Japan Mail Media」に書いた「安替:ネットメディア外交のスゝメ」がここにきてえらい勢いで読まれているらしいこと。同アーカイブページにいつツイッターやフェイスブックへのリンクボタンが付いたのか知らない(以前はなかった)が、わたしが書いた他記事のツイッター投稿件数は多くても二桁なのに、この記事だけもう900件を超えている。なにがきっかけなのか分からないけれど、間違いなくこの記事だけがポイント的に読まれていることに、ツイッターを通じてぽつぽつと入ってくる感想で気が付いた。
この記事ではジャーナリストであり、中国人トップツイーター(ツイッターユーザー)の一人である安替(アンティ)が日本人に向けてインターネットを使った中国向け情報発信を熱く勧めている。彼はその前提として中国におけるネット、特にツイッターが引き起こした社会的な変化や、「中国の民主化への目覚め」を語る。実際に安替は昨年末に国際交流基金の招きで日本に滞在し、具体的な事例をもとにさまざまな場で「中国の民間にインターネット、特にツイッターが引き起こした影響」についての講演や交流活動を行った。その一部としてこの「ニューズウィーク日本版」でも日本のツイッター第一人者である津田大介さんとの対談が掲載されたので覚えておられる方もおられよう。
だが、講演の質疑応答では必ずと言っていいほど、「あの広大で、また貧しい人が多い中国で本当にインターネットが社会を変えるほどの影響力を持つのか?」という疑問の声が投げかけられた。わずか1年前の話だが、当時はIT関係者を除けばメディアでも一般社会でも、「インターネットにはデマが多い。信じられない。ましてや、インターネットで反日デモが呼びかけられるという中国ではもっと信じられないはずだ」という反応がまだまだ多かった。
しかし、昨年末から北アフリカ、中東で起こったジャスミン革命がインターネット、特にツイッターやフェイスブックといったSNS(ソーシャルネットワークサービス)に支えられていたこと、そして日本でも311でインターネットが情報伝達において重要な役割を演じたことで、日本人のインターネットやSNSに対する姿勢は大きく変わった。そして、その後日本メディアからも中国へSNSを情報取得手段の一つとみなす記者が赴任し始め、少しずつだがその「影響力」が認められ始めている。
だが皮肉なことに、わたしが今月初めに安替に会った時、彼は「ぼくはもう去年のように無邪気に、呑気にネットやツイッターを語ることはできない」とつぶやいたのだ。
「この1年、中国ではネットに絡んでいろんな事件が起きた。微博(中国版のマイクロブログ)が一般のユーザーに浸透して社会的な活動の面でも大きく貢献した一方で、北アフリカのジャスミン革命騒ぎの余波でツイーターが粛清されたり、艾未未ほどの大物発言者すら拘束されて行方不明になった。それがやっと落ち着いてきたと思ったら、ツイッター上でこれまで論陣を張ってきた『仲間たち』の間で意見や立場の違いから絶交騒ぎが起きるようになった。今やツイッターにもネットの外の社会で起こっているあらゆる馬鹿げた騒ぎが持ち込まれるようになった」
実際にこの絶交騒ぎとやらを、わたしも目にしている。はた目にはちょっとした些細なことに映る出来事があっという間にユーザー同士の大ゲンカに発展し、ツイッターという中国国内からは文字通り「壁」を乗り越えなければたどり着けない言論空間でそれなりに重要な情報提供・分析者、また論者として信用されてきた人たちが我々の目の前で袂を分かった。「これじゃ俗世間と同じだ」とツイッターから姿を消した人もいる。これは昨年8月に安替が上記インタビューで「ユーザーの団結」を目をきらきらして語ったときには想像もしていなかった変化だ。
ツイッターだけではない。今年は7月に起こった高速鉄道事故で大活躍した、中国版マイクロブログ「微博」も登録数がすでに3億アカウント(数社が独自に「微博」を展開しているので、これはのべ件数、以下も同じ。)を超え、アクティブユーザーだけでも2億を超える大躍進ぶりとなった。しかし、12月に入って北京市が「微博管理条例」を公布し、北京市内に本社を置く企業が展開する微博に対する「実名登録制度」実施を規定した。
完全匿名性のツイッターですら、今年はユーザーが逮捕されたり、監禁されたのだから、微博が登録名のみとはいえ実名制になればどうなるか。高速鉄道事故でメディアに禁令が敷かれたにもかかわらず、微博に現場からの情報や写真が流れ続けたことを考えれば、今後そのような「利用方法」は明らかに無言の圧力にさらされることになる。
そこに、先週から今週にかけて80年代生まれの人気作家、韓寒(ハン・ハン)が「革命」「民主」「自由」をテーマにブログを立て続けに3本発表、そこで「キーボード民主を語り、書斎革命を進めようとする人たちなんかかまっていられない」と言ったためにマイクロブログは大騒ぎになった。というのも、彼は熱心なマイクロブログユーザーでこそなかったが、ブログで手厳しく社会現象や政府を批判してはそれが削除されたりと、同様にたびたび発言を削除されて苦々しく思っているマイクロブログ世代にとっての「勇敢なオピニオンリーダーの一人」だったからだ。
彼はいつもだったら削除されるはずの「革命」や「民主」という単語をふんだんに使ったこれらのエントリで、「(チェコの共産党支配を無血で倒した)ビロード革命なんか中国では起こりえない」、「中国ではさんざ奇妙な事件が頻発していて、人々はもう慣れっこになっている。たとえ社会矛盾が今の10倍になっても、(ビロード革命で活躍した)ハヴェルのような人物は結局のど飴会社のスポンサーを受けて終わるだけ」、「革命は民主をもたらすとは限らない。中国は世界で最も革命が不可能な国であると同時に、世界で最も改革が急がれる国なのだ。もし、中国で革命を起こすのに最適な時期はいつかと尋ね続けるならこう言おうか。車同士ですれ違う際にヘッドライトを消すことができるようになったとき、その時に初めて中国人は革命を起こせるだろうね。でも今のような国では革命なんか必要がない」と言い放っている。
これに対して、中国共産党機関紙「人民日報」傘下のタブロイド紙「環球時報」が「韓寒が成長、『左』や『右』を超越」と大歓迎の論評を載せたことで、さらに蜂の巣をつついたような騒ぎになり、日本で熱心に韓寒の舌鋒の鋭さを褒めちぎっていた安替らネットオピニオンリーダーたちの間でも韓寒の「再評価」をめぐって大激論が起こった。
3本目の「自由が要る」で韓寒は「文化人として、新しい年にぼくはさらに自由な創作を求めていく」と言い、「時代は変わった。現代の情報伝播は情報隠しを形だけのものにした。文化の制限は中国を世界的な文学や映画を生み出せなくしている。中国は世界に影響を与えるメディアをもてずにいる。金を出せばなにもかも買えるわけじゃない。文化の繁栄こそが最もお金を節約できる方法なのだ」と、その創作の自由が認められるなら、と交換条件を提案している。
「文化環境が自由になれば前を向こう、執政史上のセンシティブな話題には触れず、トップグループの家族やその利益などについては語らない。目にした社会についてだけ論評、討論するよ」。
批判者たちは「自分の自由が得られれば、執政者を『赦す』というのか」と激怒。「公平、正義、司法、政治改革などのすべては、その必要がある人が語ればいいことだ」と続けた韓寒に、すでに「公共の知」として価値はない、と激しい拒絶反応を示している(だが、韓寒が「公共の知である」と自認したことはこれまで一切なかったのだが)。この大騒ぎに、中国のネット世論を「民主に向かっている」と見守ってきたメディア人やウォッチャーたちも大きく揺れている。
韓寒が意図するところはなんなのか、そして「ネットの民主化」は今後続くのだろうか。図らずも「絶交騒ぎ」は壁越え先のツイッターだけではなく、万人が親しむ微博やブログ、そして文化人の世界にもあっという間に広がってしまったようだ。そこからなにが生まれるのか、しばらく静観を続けたい。
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