コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
ポケットに100元札を――悪化する北京タクシー事情
日曜夜11時半の北京空港第2ターミナル。タクシー乗り場で並んでいたら、いやな光景を目にした。
カートいっぱいの荷物を持った南米人らしき人が、乗客にタクシーを振り分けている係員や周囲の運転手に乗り場の向こうに停まっている小型バンへと誘導されている。明らかに本人はバンではなくてタクシーがいい、というそぶりを見せるが、周囲はそんなに荷物を持っているならあっちに乗るべきだと言わんばかりにバンを指差し、客待ちをしているほかのタクシー運転手も知らんぷりだ。
ふっとそばに目をやると、列の前のほうで今乗客を乗せたばかりのタクシーがさっと列の後方そばに車を停めたかと思うと、運転手がなにやら叫んだ。すると並んでいた一人がそれに応え、荷物を運転手に手渡して道路を隔てる柵を乗り越えて車に乗った。いわゆる「拼車(ぴんちゃー)」、相乗りだ。しかし、この場合先に乗っていた客が自主的にそれを求めたのではなく、運転手がそれを強要したようだ。
とたんに、北京に戻ってきたな、と実感した。まぁどこの国でも空港には白タクが待ち構えているし、北京だってつい10年ほど前にはタクシー乗り場に着くまでに白タクがわさわと声をかけてきた。しかし、そんな白タクでも値切り倒したりしなければそこまで強引に客に相乗りさせることはなかった。それを昨今では営業許可を持つ正規のタクシーがやるようになってしまった。さらに、初めて北京に到着してそれに眉をひそめた人は翌日あたりに気づくだろう、それが空港だけではなく街中でも普通の光景になってしまっていることを。
今や北京では、急いでいるとき、出退勤時間のラッシュアワー、繁華街やメインストリート、そして寒さや宵闇の中で困っているときに、タクシーを捕まえるのに大変な苦労を要する。週末の夜に人出でにぎわう三里屯あたりでは更けゆく夜を楽しむ人と、路上でタクシーを待っている人の数が同じくらいになり、待ちくたびれて路上で口論を始めるカップルさえ現れる。なぜ、確実に客が見込める繁華街や時間帯にタクシーが現れないのか? タクシーは一体どこへ消えてしまうのか?
「おれはラッシュアワーの時間には車を出さない。メシを食って時間をつぶす」と、ある運転手は言った。出退勤時間のオフィス街はタクシーどころか自家用車、営業車、バスが集中してごった返し、道を広げただけで効率的には作られていないメインストリートが右折、左折、割り込み、逆行する車でにっちもさっちもいかなくなる。そんな時に、いつもだったら基本料金の10元で行けるような目的地の客を乗せるとどうなるか。
「ラッシュに巻き込まれたもう終わり。1時間かかったとしても待ち時間代を入れて20元にもなりゃしない。でも、1時間ふかしていたらガソリン代30元が軽く飛ぶ。割に合わないから車は出さない」というのが運転手の言い分だ。それでもタクシー待ちの客の多さに目をつけて車を走らせた運転手は見も知らない客たちを勝手に詰め込んで走る。もちろん先に乗った客は運転手が相乗り客を物色する間、おとなしくそれに付き合わされる。やっと捕まえたその車を「ほかを探しな」と降ろされてしまうのがわかっているからだ。そんなことが街中のメインストリートで今や普通に起こっている。
運転手が「ワル」なのか? 確かに乗客に有無を言わせずに目的だけ達すればいいだろ、といった態度はどうみてもサービスなんてものじゃない。ただ中国ではタクシーに限らず、レストランのウェイトレスでも、デパートの売り子でも、サービス業はいまだに「目的ありき」で投げやりで、そこで示す態度や応対など次の次であることの方がほとんど。だからと言って、地下鉄にも乗らず、バスのすし詰めも勘弁、だからこそタクシーを選んだ乗客にとって運転手だけ儲かるシステムの勝手な相乗りを楽しめるわけがない。
だが、そんな「詰め込み」営業の裏にはタクシー会社と運転手が固定した上納金で結ばれているという関係がある。その上納金は一般的な北京のタクシー車両だと1か月5千元(約6万円)かかる。ガソリン代は100%運転手持ちで、事故を起こせば事故車の修理代もすべて運転手持ち。代車なんてありえないからその間無収入となり、だからといって上納金は減額されることはない。完全に運転手の「個人負担」の業界なのだ。
しかし、負担は個人でも、タクシーの個人営業は認められていない。タクシーとして営業するためにはいくつかあるタクシー会社の傘下に入って決められた上納金を支払ってのみ許される。その他はすべて白タク(中国語では「黒車」。ややこしい)である。つまり客を乗せて走って得た収入のうち、事故さえ起こさなければ上納金とガソリン代を支払えばまるまる運転手の収入となる。
北京の初乗り料金は3キロ10元(約130円)で、5年ほど変わっていない。しかし、物価はここ5年で激増したし、ガソリン代は社会主義下で市民生活への影響を考えて抑えられているとはいえ、じりじりと国際価格との調整が進められる。3キロを超える利用の場合は乗車料金に燃料補助費を支払うという規定ができたが、それでも現在わずか2元(30円弱)。そして前述したようにわずか10元程度だからと近場への乗り捨てに多用されて1時間も渋滞にはまった日には...という状況が起こる。そうして、乗客だけではなくタクシーの運転手にも、交通ピーク時の渋滞リスクを避けたいという傾向が生まれたというわけだ。
ならばなぜ夜の繁華街でも車が見つからないのか。前述の運転手は言った。「夜中に足がないからと変な郊外まで行って乗り捨てられると、また戻ってくるまでにガソリンを使う。郊外に行ってもせいぜいが30元程度の収入だし、それじゃ割に合わない。だからどこまで行くのかわからない客を乗せることになりやすい夜より、早めに寝て朝に備えて街中へ出勤する出勤客を狙うのさ」
さらに早朝に車を出してひと仕事し、出勤ピークは朝食をゆっくりとってやり過ごしてからまた街中を流すという「効率」を選ぶ運転手もいるそうだ。
交通渋滞とガソリン高。問題はそれだけのようにも思えるが、運転手と話をしているとよくわかる。彼らには「保障」がまったくないのである。事故に遭おうと(それが自分の責任でなくても)、車が故障しようと(修理代も運転手持ち)、さらにはさまざまな理由で収入が不安定になろうとも、車を走らせるにはまずガソリン代がいる。そしてその前に、タクシー会社に上納金を払わなければならない。人身事故を起こされても、会社からは運転手にはなんの保障もない...つまり、使い捨てなのだ。だから、彼らは息せき切るように金儲けの効率と手段になだれ込む。自分が損を抱え込むことは絶対にしない。
だからと言って、タクシー業界の名誉のために温情あるタクシー会社は出現しない。なぜかというと、このタクシー会社は政治的トップの利権で成り立っており、新たなタクシー会社の参入を拒絶し、個人への営業認可導入を政治力で阻止し、座っていても上がってくるタクシー1台につき5千元の上納金を「享受」しているのである。
そんなタクシーを嫌って北京はますますマイカー族が増えている。昨年から自家用車への購入制限が敷かれたが、それでもやはり車を手放す人よりも買う人が増えるのは当然だろう。そうして路上はますます混雑し、タクシーの運転手はますますそこを回避するようになる。
この国では都会のどまん中でタクシーがつかまらない。路線は増えてきたけれど、中途半端な距離を走る地下鉄は巨大な街の足にはなりにくく、ほこりっぽくてぎゅう詰めのバスはおしゃれして出かける人たちには見向きもされない。そうしてやっと捕まえたタクシーには吹っかけられるか、無理やり相乗りさせられる。わたしも夜半に空港に迎えに来てくれるように頼んであったタクシーの運転手にすっぽかされた。最後にその時乗った運転手が教えてくれた。もし、どうしてもタクシーを捕まえたければ、道端に立って100元札を振るといいよ、と。
北京においでのみなさん、ポケットに小銭を、どころか、ポケットに札束を、ですぞ。
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