コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
なにを世論と呼ぶのか――「第7回・日中共同世論調査比較結果」読後感
中国に身を置きつつ、日本で流れる報道や話題をチェックするのは日課の一つだが、時として自分が目にしている「中国」とまったく違う「中国」を大きく喧伝する言論や記事を目にして、呆然とすることがある。それが無責任な個人の「好き嫌い」から発した見解や発言であるならばほっておくが、日ごろから真剣に日中間の問題に向き合おうとしている機関や個人である場合、事態は深刻だ。
そういう意味で8月にNPO法人「言論NPO」が中国紙「チャイナ・デイリー」と協力して行った日中共同世論調査の結果を発表し、「日本人の中国に対する印象、中国人の日本に対する印象がこの一年で顕著に悪化し、過去7回の調査では最悪という結果が明らかに」と報告したのを読んでかなり驚いた。日本はともかく中国において、わたしの周囲で、またメディア報道でも、ここ一年で日本に対する中国世論が「顕著に悪化した」という印象はまったく感じていなかったからだ(同調査の比較結果は、言論NPOウェブサイトで読むことができる)。
アンケートの具体的結果についてはここでは文字数の関係で事細かには論じないが、その内容について特に「操作があった」などという印象は持っていない、念のため。だが、この調査の比較報告を開くと最初のページにある「調査の概要」を読んで、中国を日常的に観察している者としていくつかの問題点を感じたので、今後のためにここに理由とともにそれを呈したい。
まず、「調査の目的は、日中両国民の相互理解や相互認識の状況やその変化を継続的に把握することにある」という意識の下、この調査が7年間も続けられていることには敬意を表したい。民間の意識を探るのは両国でお互いがどう見られているかを知る貴重な出発点になる。そして、こういった調査を、日本はともかくとして社会主義国の中国で行うことがどれほど難しいことか。その努力と継続力は評価できる。
しかし、だからこそその調査のやり方、前提には注目したい。「調査の概要」ではその3分の2が日本での世論調査のやり方の解説について費やされている。つまり、自由な民意の発露の困難が予想される社会主義国中国においていかに調査が行われたかという重要ポイントは、わずか3分の1という短さで述べられているにすぎない。
そして、その調査は「北京、上海、成都、瀋陽、西安の5都市の18歳以上の男女を対象に、6月25日から7月22日の間で実施され、有効回収標本は1540、調査員による面接聴取法によって行われた」とある。
これを読んで最初に感じた疑問が「なぜこの5都市を選んだのか」という点だった。友人の中国人ジャーナリストもこれを見てすぐに、「なぜ中国では西部ブロックに分類される地域から成都と西安の二都市が選ばれながら、南方の大都市である広州が調査対象に入っていないのか。さらに広州に比べてずっと都市のレベルでは低い瀋陽すら入っているのに」と言った。
広州は同じ広東語圏の香港とも近い商業都市で、昔から開放的な街として知られる。海外華僑を輩出した広東省の省都でもあり、そのため海外との絆も太い。また香港の地上波テレビが広く家庭で見られているし、広東省には香港を経由して多くの日本企業も工場を設置している。そんな中国第三の大都市を「中国の世論調査」から排除した理由は何なのか?
瀋陽を選んだのは歴史的に日本とつながりがあり、日本で知られている(日本の領事館もある。が、広州にも領事館はある)都市であること、西安も同様の歴史的観点から選ばれたのかもしれない。ならば成都はどうしてなのか。これは想像だが、かつて日本の占領下におかれた土地(瀋陽)の歴史的な背景や、過去の反日デモが大きく報道された土地(西安、成都)であることが理由ではないだろうか。しかし、この三都市は中国人も「保守的」と呼ぶ土地である。もしわざわざ保守的な土地柄を選んだのであれば、その辺を考慮したうえで行われた「中国世論調査」であることを明記する必要がある。
次に驚いたのが、「調査員による面接聴取法」という調査の方法である。意識調査においては多くの場合、アンケート回収は他者による干渉を受けない形で行われるのが望ましいはずだ。特に中国は常に個人の意見より政治的な正しさが強調される社会主義国なのだ。明らかに政治的な意図を持つ内容の質問をぶつけられて、聴取調査員を前に調査対象者はどう回答するか。前出のジャーナリストは、「もちろん、政治的正しさをまず第一に考慮する」と断言した。わたしも全く同意見である。
さらにこの調査では、一般市民とは別枠で、日本では有識者に対する同様の調査を行い、中国はそれに対応する形で北京大学、清華大学、中国人民大学、国際関係学院、外交学院に所属する学生、教員1000人を対象にした調査を行った。しかし、これらの大学は全て中国でも最も高いレベルに位置する超重点大学であり、将来の国家公務員たちを多く輩出する名門校だ。そこで学んでいる、あるいは教鞭を取る人たちが、政治的にセンシティブな質問に対して、本心はどうであれ、自分の人生を賭けるほどの答をするとは思えない。中国の大学入試科目にはまだ「政治」という学科があり、大学生たちも政治の授業は必須だという現実を知れば、学内で行われた政治的アンケートへの回答の傾向は明らかだ。
そして、日本の有識者(言論NPOのこれまでの活動に参加した日本国内の企業経営者、学者、メディア関係者、公務員など約2000人)に対する調査に対し、中国側の調査は上記大学内の関係者だけに絞られていることから見ても、その比較価値は低いと言わざるを得ない。日本側の有識者はほぼ社会人で構成されているのに比べ、中国側の対象者には学生が多く含まれている。社会意識の成熟度から言っても、その意見や視点を比べるのは無理がある。
そのうえでなぜ、「この一年間で中国側の日本に対する印象が悪化した」という結果が出たのかは、調査をきちんと読むと分かる。アンケートの質問は、昨年9月に起こった尖閣沖での漁船だ捕に関する質問がほぼ中心に据えられている。日中間ではこの一年もさまざまな出来事が起こっている。そこには日中の感情に関わる出来事であっても、相手の国では話題に上らなかったような出来事もあった。その多くの出来事――文化的な活動や日中協力、あるいは国際舞台における両者の活躍などについては具体的な設問がない。
しかし、その中からわざわざ両国の世論が激昂した事件を集中的に取りあげてそれに対する印象を尋ねれば、当然その「激昂」が結果に反映される。特に、その出来事にまだお互いが納得する形で終止符が打たれていない場合には。つまり、残念ながら、「相互の感情が悪化したのでは」という意識の下で設計されたアンケート調査だったという思いはぬぐえない。
このような現地事情、特に調査対象となる住民の日常生活に対する心のひだを無視した、形の上でのアンケート調査がどこまで現実を反映するのか、わたしは疑問だ。さらに、民間の意識調査まで行いながら、なぜその中国側パートナーに中国共産党直属のメディアであるチャイナ・デーリーを選び、そして中国側ゲストも所謂「体制派」と呼ばれる人たちばかりなのか。
中国には購買数で民間世論に支持されているメディアがある。広州に本拠地を持つ南方日報グループが発行する「南方都市報」「南方週末」「新京報」「二十一世紀経済報道」などがそうだ。言論NPOが「当事者意識を持った言論」を追及し、日中民間における対話を目指すなら、その相手として「官にきれいに包装された世論」を選ぶべきか、それとも「民間で一番読まれているメディア」を選ぶべきか。
日中の対話は必然だ。NPOとして経験を積んだ言論NPOが今後、どのような立ち位置で日中の世論を眺めて行くのか。今回の調査結果は、その見直しをはっきりと迫っているように思うのだが。
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