コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
都市を支える二等公民――民工の子弟たち
9月は中国の学校では新しい学年が始まる。本来ならちょうど今頃は子供を持つ家庭ではウキウキと新学期に向けた準備が進められているはずだが、北京の郊外で24校が強制閉鎖を通知され、約1万4000人の子供たちが行き場をなくしているというニュースが流れている。
表向きはこれらの学校がどこも正式な開学許可証を取っていないことが理由だ。通学する子供たちはみな、「民工」と呼ばれる、地方からの出稼ぎ労働者の子供で、だから「民工子弟学校」と呼ばれている。
中国でも9年間の義務教育制度が設けられているが、統計によると、「民工」の両親とともに北京で暮らす義務教育期の子供は約43万人を超えているそうだ。実際にはそのうち約70%が北京の公立学校で学び、約5万人が認可を受けた「民工子弟学校」に、そして約4万人が未認可の学校にそれぞれ自費で通っているらしい(合計数が合わないのは、もしかしたら学校に行っていない子供がいるからかも)。
出稼ぎ労働者の子供の教育問題と言えば、わたしは我が家に来てくれていた呉さんをいつも思い出す。彼女と夫はすでに北京で家政婦の仕事をしていた夫の姉を頼って、90年代の終わりごろに北京にやってきた。2005年ごろにはもう田舎に自宅を建てたと言っていたから、故郷では決して貧しい部類の人たちではなかった。しかし、それも工場で運転手をする夫と彼女が北京で文字通り六畳一間の部屋で暮らしながら、朝から晩まで働いて貯めたお金のおかげだ。
彼らには2000年生まれの娘がいた。彼女は生後2ヵ月で北京に連れて来られて以来、ずっと北京で育った。その彼女が小学校に上がる年、「幸運なことに、北京市の公立学校で『賛助費』が取り消されたんです」と呉さんは喜んでいた。「賛助費」とは北京市の戸籍を持たない子供を受け入れる際に公立学校が要求する特殊費用で、金額は学校によってばらばら。高いところでは2万元という、月収が4000元程度の呉さんたちのような家庭には到底無理な額を請求するところもあった。そのわずか数年前に学齢期に達した義姉の息子は、この「賛助費」が払えないために安徽省の祖父母の家に預けられて小学校に通ったんだそうだ。
実のところ、今中国の都市では運送業やサービス業などの業種は、呉さんたちのような出稼ぎ労働者なしでは機能しなくなっている。都会育ちの人たちはメンツや物価高を気にしてきつくて安い仕事につきたがらないが、その彼らが求めているのがこれまた「安くて」「便利な」都市機能なのだ。その需要を、地方出身の呉さん夫婦のような人たちが埋める。だから、旧暦正月前になると出稼ぎ者がごっそりと休暇を取って里帰りしてしまい、都市機能がストップする。そんな笑えない事態ももう「お決まり」になった。
都市の施政者たちは戸籍の枠を超えて都市に流れ込んでくる、この出稼ぎ者たちを疎ましく思っている。人的な管理が難しいからだ。しかし、同時に都市の経済活動の隙間、あるいは底辺を埋める彼らをすでに拒絶することができないことも理解している。そのために出稼ぎ者の都市における居住条件は、政令という中央政府の号令に基づいて非常にゆっくりだが改善は図られている。呉さんの娘を含む70%の「民工」子弟が破格の賛助費を回避して公立の学校に通えるようになったのも、その一例だ。
しかし、それでも公立や認可された学校に通わせるのと比べると、無認可の学校の方が安くて済む。公立の学校では制服やさまざまな校外活動のための費用が発生するが、民工の子供だけが通う無認可の学校であれば、親たちにそんな額外の余裕などないことを学校側もよく承知しているからだ。そして、そこで教える教師たちも必ずしも資格を持った教師ではない。つまり、底辺の生活をする人たちにここでまた底辺のサービスが提供されているわけだ。
さらには、出稼ぎ者たちが集まって暮らす、街に出来るだけ近く、しかし生活費が安い地域では、その土地に住んでいる北京戸籍の人たちとのトラブルも絶えない。呉さんも民工相手の貸しアパートの大家がアパートから自宅に電線を引き、自分たちが電気代を肩代わりさせられているのに気がついた。それを指摘すると、「出ていけ」と言われたそうだ。そのアパートでは、5、6家族で台所もシャワーもトイレも共同で使っていた。
運良く公立の学校で成績優秀な娘もあと数年で高校受験、大学受験を迎える。中国の大学は各省ごとに募集枠や統一試験の合格基準点数が設けられている。呉さんの娘のような地方戸籍の人間は戸籍所在地でしか受験できず、またそこに与えられた条件でしか進路を決めることができない。安徽省戸籍の娘さんは大学受験前少なくとも1~2年は安徽省の学校に通わなければ、受験資格さえ取れない恐れがある。
結局、呉さんたちは2年前に北京を引きあげて故郷に帰って行った。旧正月の帰省のたびに必ず熱を出していた、北京育ちの娘さんは安徽省の生活にもう慣れただろうか。丁寧な仕事と責任感たっぷりの仕事ぶりだった呉さんを思い出すたびに思うのだ。職を求めて都市に流れ込み、その都市を支えている民工家族が二等公民としてではなく、自国の土地で一人の中国人として胸を張って生きるという選択肢はいつ許されるのだろうか。
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