コラム

都市を支える二等公民――民工の子弟たち

2011年08月30日(火)07時00分

 9月は中国の学校では新しい学年が始まる。本来ならちょうど今頃は子供を持つ家庭ではウキウキと新学期に向けた準備が進められているはずだが、北京の郊外で24校が強制閉鎖を通知され、約1万4000人の子供たちが行き場をなくしているというニュースが流れている。

 表向きはこれらの学校がどこも正式な開学許可証を取っていないことが理由だ。通学する子供たちはみな、「民工」と呼ばれる、地方からの出稼ぎ労働者の子供で、だから「民工子弟学校」と呼ばれている。

 中国でも9年間の義務教育制度が設けられているが、統計によると、「民工」の両親とともに北京で暮らす義務教育期の子供は約43万人を超えているそうだ。実際にはそのうち約70%が北京の公立学校で学び、約5万人が認可を受けた「民工子弟学校」に、そして約4万人が未認可の学校にそれぞれ自費で通っているらしい(合計数が合わないのは、もしかしたら学校に行っていない子供がいるからかも)。

 出稼ぎ労働者の子供の教育問題と言えば、わたしは我が家に来てくれていた呉さんをいつも思い出す。彼女と夫はすでに北京で家政婦の仕事をしていた夫の姉を頼って、90年代の終わりごろに北京にやってきた。2005年ごろにはもう田舎に自宅を建てたと言っていたから、故郷では決して貧しい部類の人たちではなかった。しかし、それも工場で運転手をする夫と彼女が北京で文字通り六畳一間の部屋で暮らしながら、朝から晩まで働いて貯めたお金のおかげだ。

 彼らには2000年生まれの娘がいた。彼女は生後2ヵ月で北京に連れて来られて以来、ずっと北京で育った。その彼女が小学校に上がる年、「幸運なことに、北京市の公立学校で『賛助費』が取り消されたんです」と呉さんは喜んでいた。「賛助費」とは北京市の戸籍を持たない子供を受け入れる際に公立学校が要求する特殊費用で、金額は学校によってばらばら。高いところでは2万元という、月収が4000元程度の呉さんたちのような家庭には到底無理な額を請求するところもあった。そのわずか数年前に学齢期に達した義姉の息子は、この「賛助費」が払えないために安徽省の祖父母の家に預けられて小学校に通ったんだそうだ。

 実のところ、今中国の都市では運送業やサービス業などの業種は、呉さんたちのような出稼ぎ労働者なしでは機能しなくなっている。都会育ちの人たちはメンツや物価高を気にしてきつくて安い仕事につきたがらないが、その彼らが求めているのがこれまた「安くて」「便利な」都市機能なのだ。その需要を、地方出身の呉さん夫婦のような人たちが埋める。だから、旧暦正月前になると出稼ぎ者がごっそりと休暇を取って里帰りしてしまい、都市機能がストップする。そんな笑えない事態ももう「お決まり」になった。

 都市の施政者たちは戸籍の枠を超えて都市に流れ込んでくる、この出稼ぎ者たちを疎ましく思っている。人的な管理が難しいからだ。しかし、同時に都市の経済活動の隙間、あるいは底辺を埋める彼らをすでに拒絶することができないことも理解している。そのために出稼ぎ者の都市における居住条件は、政令という中央政府の号令に基づいて非常にゆっくりだが改善は図られている。呉さんの娘を含む70%の「民工」子弟が破格の賛助費を回避して公立の学校に通えるようになったのも、その一例だ。

 しかし、それでも公立や認可された学校に通わせるのと比べると、無認可の学校の方が安くて済む。公立の学校では制服やさまざまな校外活動のための費用が発生するが、民工の子供だけが通う無認可の学校であれば、親たちにそんな額外の余裕などないことを学校側もよく承知しているからだ。そして、そこで教える教師たちも必ずしも資格を持った教師ではない。つまり、底辺の生活をする人たちにここでまた底辺のサービスが提供されているわけだ。

 さらには、出稼ぎ者たちが集まって暮らす、街に出来るだけ近く、しかし生活費が安い地域では、その土地に住んでいる北京戸籍の人たちとのトラブルも絶えない。呉さんも民工相手の貸しアパートの大家がアパートから自宅に電線を引き、自分たちが電気代を肩代わりさせられているのに気がついた。それを指摘すると、「出ていけ」と言われたそうだ。そのアパートでは、5、6家族で台所もシャワーもトイレも共同で使っていた。

 運良く公立の学校で成績優秀な娘もあと数年で高校受験、大学受験を迎える。中国の大学は各省ごとに募集枠や統一試験の合格基準点数が設けられている。呉さんの娘のような地方戸籍の人間は戸籍所在地でしか受験できず、またそこに与えられた条件でしか進路を決めることができない。安徽省戸籍の娘さんは大学受験前少なくとも1~2年は安徽省の学校に通わなければ、受験資格さえ取れない恐れがある。

 結局、呉さんたちは2年前に北京を引きあげて故郷に帰って行った。旧正月の帰省のたびに必ず熱を出していた、北京育ちの娘さんは安徽省の生活にもう慣れただろうか。丁寧な仕事と責任感たっぷりの仕事ぶりだった呉さんを思い出すたびに思うのだ。職を求めて都市に流れ込み、その都市を支えている民工家族が二等公民としてではなく、自国の土地で一人の中国人として胸を張って生きるという選択肢はいつ許されるのだろうか。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国軍、台湾包囲の大規模演習 実弾射撃や港湾封鎖訓

ワールド

和平枠組みで15年間の米安全保障を想定、ゼレンスキ

ワールド

トルコでIS戦闘員と銃撃戦、警察官3人死亡 攻撃警

ビジネス

独経済団体、半数が26年の人員削減を予想 経済危機
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それ…
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    「アニメである必要があった...」映画『この世界の片…
  • 9
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 10
    2026年、トランプは最大の政治的試練に直面する
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story