アステイオン

日本社会

物流倉庫のバイトのあとに『柔らかい個人主義の誕生』を読む...私たちは「かわいいが社交に置きかえられた世界」を生きている

2024年12月25日(水)11時05分
綿野恵太(文筆家)
物流倉庫

alphaspirit.it-shutterstock


<ファミレスの配膳ロボットから人気漫画『ちいかわ』まで、デジタル化時代に「社交」を改めて考える。『アステイオン』100号より「物流倉庫のバイトのあとに『柔らかい個人主義の誕生』を読む」を転載>


猫型ロボット。最近、ファミリーレストランで配膳しているあいつのことだ。ディスプレイにはまんまるおめめ。頭を撫でれば、「くすぐったいニャ」とうれしそうに目をつむる。「ご注文ありがとうニャン」とお礼も言う。テーブルのそばを通るだけで子供たちが「かわいい」と喜ぶ。正式名はBellaBotというらしい。

しかし、かわいいからといってだまされてはいけない。冷静に考えれば、工場で製造された料理がロボットで運ばれているのだ。そして、お客さんはタブレットで注文して、自動釣り銭機でお会計を済ませている。こういうふうに書くと、どこか無味乾燥な感じがしてこないか。

むかし山崎正和氏はファミレスについてこう述べていた。「提供される商品の実質は工場生産による冷凍食品であり、顧客が店頭で受けとるのは、食卓の雰囲気と給仕人の演技、いいかえれば、もてなしの「幻想」にほかならない」と(『柔らかい個人主義の誕生』)。

つまり、山崎氏によれば、ファミレスには「冷凍運搬車と冷蔵庫という機械的媒体のイメージ」を失くすために「人間による直接的なもてなしの演技」が必要であった。そして、もてなしの演技を求めてお客さんが集まったわけである。

しかし、いまのファミレスにあるのは、給仕ならぬ給餌である。もてなしの演技はない。その代わりに猫型ロボットの「かわいい」がある。そして、かわいいに簡単にだまされる、ちょろいぼくたちがいる。近頃は工事現場のバリケードさえもかわいいキャラと化している。

山崎正和氏の『柔らかい個人主義の誕生』は1984年に刊行された。創刊時の『アステイオン』でもたびたび言及されている。

国家はかつての存在感を失い、個人は会社や家族といった集団から解放された。このように個人の「個別化」が進んだいっぽうで、ひとびとは趣味や教養を求めて文化サークルや市民講座、ボランティアにつどった。

顔の見える小さな集まりを掛け持ちする個人に必要とされるのは、ひとつの集団に誠実にコミットする強固な自我ではない。さまざまな集団でみずからの役割を自覚的に演じ分ける、柔らかな自我である。

このような山崎氏の主張の背景には、消費社会があった。物質の生産ではなく情報やサービスへ比重をうつした「脱産業化社会」(ダニエル・ベル)。

人間が人間の相手をするサービス業では、社交のための演技が必要となる。たとえ、ファミレスであっても。人間同士のやりとり=社交を楽しむことは、時間や出来事そのものを消費することにほかならない。

時間消費という新しいあり方は、これまで効率よくモノを生産=消費してきた大量生産・大量消費社会を越えるものなのだ。それゆえに、「柔らかい個人主義の誕生」は「文明史的な転換」なのである、と。

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