片山 民主主義と資本主義とがセットになると、そういう洗練を保つための仕掛けをどうしても壊していくことになる。それがここ何十年かの1つの問題点ですね。
福澤諭吉の『帝室論』(4)には、皇室というのは豊かな財産を持ち、資本主義や民主主義的な世界では滅びてしまうような、皆が「値打ちがある」と言わないようなものにその財産を使うところに意味がある、と書いています。今の世の中でも変わらないはずです。
三浦 さすがに福澤ですね。最後に一言。僕は1990年前後、つまり世界の大転換のときに『アステイオン』の企画で、特派員として中東欧圏を取材させてもらいました。「座談会 涙の谷をこえて―東欧の『ヨーロッパ』への回帰」(23号、1992年)が結果の一部です。
これはサントリー文化財団と『アステイオン』がなかったらできなかったことで、大学などに所属していない僕のような批評家にはものすごく大きなプレゼントでした。深く感謝しています。
そういう体験をした書き手はほかにも大勢いると思いますよ。これは、劇場を建てることに匹敵する大きな社会的役割だと思う。その場所に行かなければわからないことはいっぱいありますから。こういったことは、これからもぜひ続けてもらえると有り難いですね。
田所 『アステイオン』がこれからもそういう洗練されたものを保つ仕掛け、社会装置になっていければいいと私も思っています。本日はありがとうございました。
[注]
(1) 梶谷懐、高口康太著、NHK出版新書、2019年
(2) 「粗野な正義観と力の時代」『アステイオン』創刊号、34頁、1986年
(3) 「フィールス あの不幸の前にも、やはりこんなことがありました。フクロウも啼(な)きたてたし、サモワールもひっきりなしに唸(うな)りましたっけ。
ガーエフ 不幸の前というと?
フィールス 解放令の前でございますよ。」
(『桜の園―喜劇 四幕』アントン・チェーホフ、神西清訳)
(4) 「人或は云く、前段に記したる諸藝術を保存せんが爲に、帝室に依頼するは則ち可なりと雖ども、其藝術の中には全く今日に無用なるものあるを如何せん、無用の藝術を保存するに有用の心思を勞して、又隨て多少の金を費す、全く無用の事なりとの説あれども、或人は誠に今日の人にして明日を知らざる者なり。人間の文明は、其日月永遠にして其の境界廣大なるものなり。文明一跳、千歳一日の如し。豈今日目下の無用を以て千歳文明の材料を棄ることを爲んや。」(『帝室論』福澤諭吉立案、中上川彦次郎 筆記)
片山杜秀(Morihide Katayama)
慶應義塾大学法学部教授、音楽評論家。1963年生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。専門は近代政治思想史、政治文化論。主な著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(ともにアルテスパブリッシング、サントリー学芸賞)、『未完のファシズム─「持たざる国」日本の運命』(新潮選書)、『皇国史観』(文春新書)などがある。
三浦雅士(Masashi Miura)
文芸評論家。1946年生まれ。弘前高校卒業。1969年、青土社創立と同時に入社。『ユリイカ』、『現代思想』編集長などを務める。『メランコリーの水脈』(福武書店、サントリー学芸賞)、『身体の零度』(講談社、読売文学賞)など著書多数。
田所昌幸(Masayuki Tadokoro)
国際大学特任教授。1956年生まれ。京都大学法学部卒業。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス留学。京都大学大学院法学研究科博士課程中退。博士(法学)。姫路獨協大学法学部教授、防衛大学校教授、慶應義塾大学法学部教授を経て、現職。慶應義塾大学名誉教授。専門は国際政治学。主な著書に『「アメリカ」を超えたドル』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『越境の国際政治』(有斐閣)、『社会のなかのコモンズ』(共著、白水社)、『新しい地政学』(共著、東洋経済新報社)など。
『アステイオン』100号
特集:「言論のアリーナ」としての試み──創刊100号を迎えて
公益財団法人サントリー文化財団
アステイオン編集委員会 編
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