天守建築の「レストレーション」についての古川の予言も的中し、その後の時代、多くの天守建築をこのような形で復元する動きが日本中に引き起こされた。名古屋城もそのひとつだった。
このことは、「復元」の概念やオーセンティシティのあり方自体、それぞれの時代の価値観や感性と関わりながら形作られ、また変容するものであるということを教えてくれる。
そうであるなら、バリアフリーの考え方やら、VR、メタバース等々、少し前まで想像すらできなかったような文化が生まれているいま、新しい価値観や感性に見合った復元の概念やオーセンティシティのあり方をわれわれ自身が今後いかに構築してゆけるかを考えるべきなのではないだろうか。
オーセンティシティの概念が問い直されているのは、建築物の保存や復元の場面に限った話ではない。
同時代の楽器や演奏法によって、バッハやモーツァルトの曲の作曲当時の姿を復元する古楽演奏の世界では、クラヴィコードやチェンバロなどの古楽器での演奏が盛んになる一方で、その「オーセンティシティ」の要諦は、実は過去の演奏の忠実な再現などにはなく、むしろその根柢にあるのは現代を生きるわれわれの価値観や感性にほかならないという考え方が出てきている。
一方、最近のメディア論では、レコード以後の録音メディアの展開を考える際に暗黙のうちに前提とされてきた、生演奏という「ホンモノ」に限りなく近づくことが目指されてきたかのような捉え方が見直され、むしろ録音の出現によって、それに対応する、現実には存在しない「オリジナル」がはじめて措定されるようになったとする見方が出てきている。
いずれも、侵すべからざる「ホンモノ」が自分たちの外部に存在しているかのような幻想から距離を置くことで、「オーセンティシティ」の問題を、人々との不断の関わりのなかで形作られる「文化」として捉え返そうとする方向性をもった考え方であると言ってよい。
大阪城や名古屋城もまた、現実世界で常に人々と関わり、そのさまざまな痕跡を刻み込みつつ今日まで引き継がれてきた存在である以上、現実世界から隔絶された形で超然と保たれてきたわけではなかろう。
そういう問題圏の中であらためて、「鉄筋コンクリート造、エレベーターつき」の「オーセンティシティ」を問い直してみることこそ、それを「文化」として考えるということだと思うのだが。
渡辺 裕(Hiroshi Watanabe)
1953年生まれ。東京大学文学部卒業、同大学大学院修了。玉川大学文学部助教授、大阪大学文学部助教授、東京大学大学院人文社会系研究科教授、東京音楽大学教授などを歴任。専門は音楽社会史、聴覚文化論。著書に『聴衆の誕生』(春秋社、サントリー学芸賞)、『日本文化 モダン・ラプソディ』(春秋社、芸術選奨文部科学大臣新人賞)、『歌う国民──唱歌、校歌、うたごえ』(中公新書、芸術選奨文部科学大臣賞)、『まちあるき文化考』(春秋社)など。
『アステイオン』99号
特集:境界を往還する芸術家たち
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