コーランは、7世紀初めに、メッカの商人だったムハンマドに与えられた神の言葉である。ムハンマドは非識字者であったので、それを暗記した。はじめは口承で人々に伝えられたコーランだったが、7世紀半ばにカリフのウスマーンのもとで編纂された。
キリスト教の場合、新約聖書は、キリストの弟子たちが書いたものである。それに対して、コーランは、神の言葉そのものである。
キリスト教の聖書は、いくつかの言語で書かれ、正典と外典があるのに対し、コーランはアラビア語で書かれ、改変されることなく、読まれ、読誦されている。
コーランが朗誦される場に居合わせた人は、アラビア語がわからなくても、その雄大で、荘重で、ゆったりした響きに、懐かしさや、安らぎを感じるだろう。
ムハンマドが啓示を受けた頃のアラビア半島では詩が発達していた。人びとは詩に優れ、さまざまな思いや出来事を詩として朗誦し、その美しさを競っていた。
彼らは、力強い「声の文化」のなかにあったのである。そうした「声の文化」から生まれたコーランは、韻を踏んだ、美しい詩でもあった。
コーランには「コーランを明瞭に読誦せよ。本当にわれら(神)は、あなたに貴重な言葉(コーラン)を投げかけよう」とある(73章4-5節)。
ムスリムは、コーランを読誦するために、アラビア語圏であろうとなかろうと、コーランの暗記に努める。コーランには、「声の文化」としての側面が保たれ続けているのである。
その一方、イスラーム圏には、「文字の文化」の側面も強い。というのも、コーランには、神が人間に書く術を与えたとあり、イスラーム圏では書くことが重要視されたからである。
書家は尊敬され、イスラーム美術のなかで最も発展したのは書芸術であった。書芸術の発展に伴い、書は、メッセージ性とデザイン性を兼ねるようになった。そして、宗教分野、世俗分野を問わず、あらゆる建築物、美術工芸品、日用品を書・銘文が飾るようになるのである。
そうしたイスラーム圏の銘文を紹介したのが、イスラーム美術史家シーラ・ブレアによるIslamic Inscriptions(イスラームの銘文)である。今から25年も前に出版されたものだが、銘文を、建築と工芸品ごとに紹介したもので、その重要性を失っていない。
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