楊潔篪はここで、「中国」、「国」ということばで国境により截然と定義された領域を主権的に統治する国家(主権国家)を考えている。同時に、「大・小」と等置される「強・弱」「上・下」の強烈な序列意識がある。
しかし、「皇・勅」という文字の使用、服制など、「秩序」を具体的なかたちで制度化し表現する文字、書式、服制、儀礼などはどこにもない(石田徹「征韓論からみる日本と『中華』」)。あるのは無礼だけで、富と力の不均等分布がこれを支える。
「中国」の外交は楊潔篪の発言に見える国際秩序観に照らすとよくわかる。その例に習近平がこの半年、他国首脳にその国との関係をどう描写したかを見てみよう。
習近平は昨年11月、バイデン大統領に「中米双方は歴史、世界、人々に対して責任を負う」、両国に「幸福」を、「世界に恩恵を」もたらす必要があると述べた。
ドイツのショルツ首相には「中独は影響力ある大国として」、「第三者に支配されない」ようにしよう、フランスのマクロン大統領には「2つの重要なパワー(大国)として」「自主独立、開放・協力の精神を堅持」すべきだ、と言った。
韓国の尹錫悦大統領には「中韓は引っ越すことのできない隣人であり、切り離せない協力パートナー」であると言った。要は「唇歯輔車(しんしほしゃ)」と言いたかったのだろう。
新興国・途上国首脳、特に中央アジア諸国首脳へのもの言いはずいぶん違う。この5月、カザフスタンのトカエフ大統領には「互いに信頼できる良き友人、良き兄弟、良きパートナー」として「中国カザフ運命共同体の構築を推進する必要がある」と言った。
ウズベキスタンのミルジヨエフ大統領、トルクメニスタンのベルディムハメドフ大統領、キルギスのジャパロフ大統領にも「運命共同体」構築を呼びかけた。タジキスタンのラフモン大統領には「共同体構築は喜ばしい進展」を遂げていると言った。
では、岸田首相にはなんと言ったか。「中日関係の重要性は変わっておらず、今後も変わることはない」「戦略的観点から」「大きな方向性を......把握し、新しい時代の要請にふさわしい中日関係を構築することを望む」と言った。
こうしてみると、明らかだろう。世界を仕切るのは中国と米国だ。米国の同盟国は、その時々の都合で「大国」にもなれば「協力パートナー」にもなる。しかし、日本については「大国」とも「パートナー」とも言いたくないらしい。
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