アステイオン

文学

アルジェリアの村人となったドイツ人の父の「過去」と2人の兄弟の物語──「いま」を問う小説の役割

2023年04月26日(水)08時06分
鵜戸 聡(明治大学国際日本学部専任准教授)

ひどく動揺したラシェルは父の足跡を辿ってドイツやエジプトにまで足を運び、最後には両親が首をかき切られた日からちょうど2年後に、自宅のガレージで愛車の排気ガスを吸って自死するのである。

結局のところ、何かが「同じ」であるとか、逆にどのくらい「同じ」でないかを定めるのは見る者の視線であって、それがまた私たちの世界認識を形作っている。

子どものなかに親と同じ部分を見出したり、自分たちはみな同国人だと考えたりしながら、私たちは絆を想像する。

ラシェルは「戦争犯罪人」だった父親と自分を同じに見てしまうことから逃れられず、一方で、父によって虐殺されたかもしれない強制収容所の囚人たちと同じガス殺を自らに科す。

相似と対比は紙一重で、死刑執行人は犠牲者に反転する(父ハンスが虐殺されたように)。だが、ラシェルは父の罪を贖うかのように死を選びつつも、同じく父の息子である弟には自分と違い「強く生きてくれ」と手記を残すのだ。

兄の死の真相を知ったマルリクには、団地に蔓延(はびこ)るイスラーム主義者たちがナチスに見え「団地を絶滅収容所に変えちまおうとしているこのSSの首をかっ切ってやるんだ」と誓う。

さらにはアルジェ空港の特殊警官たちに倉庫に押し込められ、「強制収容所の囚人みたいに」扱われていると感じる。「同じ」ものを見出すことは隠された相似構造の発見でもあるが、「同じ」相手に憎しみを転移させてしまう危険を孕んでいる。

しかし、マルリクは憎しみも諦めも越えて希望を見出していく。村の幼馴染に「運命(メクトゥーブ)なんだ、僕たちは受け容れなきゃいけない」と言われた彼は、「これは運命(メクトゥーブ)なんかじゃない。問題なのは僕らなんだ」と悟るのだ。

「本当の希望というのは、翼を与えてくれ、そしてその翼で飛びたいって思わせてくれるものだ」。

『ドイツ人の村』では大きな事件は起こらない。虐殺はすでに起きてしまっているのだ。描かれるのは新たな事件ではなく、過去を見つめることで変わっていくラシェルとマルリクの心であり、その意味で本作もまた「いま」を問うているのである。


鵜戸 聡(Satoshi Udo)
1981年生まれ。東京大学教養学部フランス地域文化研究専攻卒業、同大学院総合文化研究科より博士号(学術)を授与。鹿児島大学法文学部准教授を経て現職。専門はアルジェリアを中心とするフランス語圏アラブ=ベルベル文学。共編著に『クリティカルワード 文学理論』(フィルムアート社)、『世界の文学、文学の世界』(松籟社)など。


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