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日本社会

移住願望はシニア層から若者へ──首都圏の人は「地方」に何を求めるのか

2023年03月15日(水)08時13分
多賀谷克彦(元朝日新聞編集委員)

昨年設立20周年を迎えたセンターの高橋公理事長は「かつて移住といえば、残りの人生を自然豊かな地方でというシニア層が圧倒的だった。だが、リーマンショック後は、東京に出ても正社員の門戸は狭く、生活費・居住費も高い。東京で一旗揚げようという時代でもない」と分析する。

かつて、ペストが中世の欧州の価値観を大きく変えたように、21世紀初頭のパンデミックは、この国の近代の骨格をつくった東京集中の流れに棹差すぐらいのきっかけになるのか。そのために、都市部から人を受け入れる地域とはどういう姿なのだろう。

例えば、北海道鹿追町で開かれる冬のイベント「しかりべつ湖コタン」は、凍結した湖上に、切り出した氷や雪で、ホテル、露天風呂、ホール、バーなど10以上の構造物を造り、全国から人を集めている。3月には溶けてなくなる「幻の集落」が多くの旅人を魅了してきた。

1980年の当初から、毎年、国内外の30人程度のボランティアらが催しを支える。谷澤陽子さんは二十数年前、東京で働いていたころに、ボランティアがきっかけで移り住んだ。コタンで知り合った千葉県出身の男性と結婚。中2を頭に男の子3人。いまも現地の観光施設で働く。「まずは壮大な自然。冬と夏の表情がまったく違う。移り住んだ人同士のコミュニティーも魅力です」と話す。

名古屋市出身の松浦雅峰さんも地元で設計士として働いていたが、旅の途中でコタンのことを知り、訪れてとりこになった。10年ほど前、コタンで知り合った長崎市出身の女性と結婚して定住を決めた。そのころから始めたネット広告関連の仕事を続けている。「都会で働き続ける自分がイメージできなかった。仕事があれば、あとは本人次第」。松浦さんもこの地域の人のつながりの心地よさを感じている。

町の人口は5300人ほど。コタンのほかにも、農業研修制度に参加して、そのまま移り住んだ人もいる。この5年間に移り住んだ人は80人を超す。

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