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ウクライナ人が垣間見せた「ロシア人との意識の違い」どちらかが正しいのか?

2023年03月01日(水)08時08分
廣瀬陽子+山口 昇+中西 寛 構成:西村真彦(国際日本文化研究センター 機関研究員)

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中西 どちらかの認識が間違っているということでしょうか。

廣瀬 どちらも正しいと言えます。実際、「民主化革命」を行ったのはウクライナ人です。その一方で、いずれの革命にも、欧米が相当なてこ入れをしていることは間違いありません。ですから、プーチン大統領からすれば、欧米の関与によって自分の影響圏を荒らされたため、ウクライナを奪還せねばならないと考え、実行に移す上での大きな起爆剤になったわけです。

そもそもロシアは、「オレンジ革命」が起きた2004年からクリミアを奪還しようという意思を強めていたようで、一般人のふりをしながら活動する「政治技術者」をクリミアに送り込み、10年かけてクリミアの人々を洗脳していたということが分かっています。

中西 ロシア側から見て、やはり「オレンジ革命」は重要な契機だったということですね。

廣瀬 「オレンジ革命」の重要なポイントは、プーチン大統領が、欧米がロシアの影響圏に入ってきたという認識を確実にしたことであり、それにより、欧米の影響が及んできたウクライナからクリミアを力づくで「取り返そう」という決意をプーチン大統領にさせてしまった点です。ですから「自分たちで実現した革命である」というウクライナ人側だけの視点では、解釈を誤ります。

また、「ユーロマイダン革命」についても、「同胞であったはずのウクライナが欧米の手に落ちてしまった」とプーチン大統領は解釈しています。他方、「自分たちの血を流すことで民主化革命をし、ロシアのくびきから抜けて、欧米世界に飛び立った」とウクライナ人は理解しています。ですから、2014年に進んでいたウクライナとロシアの断絶を決定的にした事件が起きたと見るべきです。
 
中西 日本では今回のウクライナ戦争は2022年2月24日に突然始まったという印象を強く持たれています。しかし、そこに至る文脈や過程がやはりあり、それが2004年であり、2014年である、と。そのように段階的に進んできた上で、ロシア、欧米、そしてウクライナの各視点のズレがだんだんと大きくなってきたということなのですね。

廣瀬 また、ポルトノフさんは「ロシア語話者は決して親ロシア派ではない」と主張しています。確かにそれは事実ではありますが、そのような傾向が特に強まったのは2014年です。

ドネツクとクリミアなどウクライナ東部にロシア語話者が非常に多く、西部にウクライナ語話者が多い状況でした。例えば2010年の大統領選挙では、「親ロシア派」と言わるヤヌコヴィッチと「親欧米派」と言わるティモシェンコが競いました。結果を見ると、やはり東部で圧倒的にヤヌコヴィッチ票が目立ち、西部で圧倒的にティモシェンコ票が目立っていました。

中西 2010年段階では、ロシア語話者が多い地域では親ロシア派のヤヌコヴィッチを支持する世論が強かったわけですね。

廣瀬 しかし2014年にロシアがクリミアを併合し、ウクライナ東部の混乱が始まりました。これでウクライナ人は覚醒し、ウクライナが1つにならなければいけないということで、ロシア語話者であってもウクライナへの気持ちを非常に強くし、自分たちはウクライナ人であるということを確認したということです。

ですので、元からロシア語話者でも親ロシア派ではないというような考え方は、ウクライナ人の少し美化し過ぎた考え方なのではないかという気がします。

中西 ウクライナ人研究者の論考が学術的にまとまった形で紹介されることは少ないので、『アステイオン』に掲載することができたのは今号のよかった点の1つです。では、山口先生はいかがでしょうか?

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