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近年、翻訳をその内部にあらかじめ組み入れる文学を世界文学として定義づけるいくつかの動きが見受けられる。そこでは、翻訳は原典に対して二次的なものではなく、むしろ世界文学そのものを成り立たせる前提となっている。
『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』(松柏社)は、村上春樹を世界文学の文脈に解き放ち、現代日本文学における創作と翻訳の弁証法的な関係性を問うてみた。いま、確信を持って言いたいのは、21世紀において「翻訳」はこれからも重要度を増していき、世界の様々なことを理解するのに不可欠な一つの尺度になっていくのではないかということだ。
グローバル化する世界で「翻訳」を突き詰めて問うことは、私たちの存在意義を捉え直すきっかけになる。なぜなら誰もがサルマン・ラシュディの言うような「翻訳人間」になるかもしれないからだ。
次に、文化変容の観点から言えば、70年代というポストモダン移行期を起点に、戦後日本社会の文化的秩序は従来のピラミッド型から徐々にフラットに変わっていった。
『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』が注目した新たな文化空間は日々拡大しつづけ、今では主流化した感がある。つまり、21世紀の現実を生きる私たちが、70年代の時代精神にポストモダン社会と呼ばれる今日の時代状況の起源を求めることができるのだ。
バーチャル・リアリティの台頭で現実感の喪失が著しいいま、『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』が示した一種の起源探しは、現実感覚を取り戻すための手助けになる。
最後に、今後の抱負として引き続き翻訳と創作の関係性を追求していきたいと思う。とくに、文化のポリティクスないし翻訳不可能性の観点から見れば文脈の衝突および転換が避けられないものの、翻訳の過程で新たな文脈がどのように作り出されたのか、という問題意識を中心に研究を続けたい。
『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳』では対抗文化としての女性作家が書いた文学について触れたが、これからは、「新たな詩的言語の創出」と「翻訳」をキーワードに、本質論の危険を意識しながら女性独特の伝統の存在、力および意義を検討してみたい。
例えば、世界文学の時代において、日本やアメリカ、中国の女性の間にどのような対話的な「知」が再構築され、どのような新たな文体と文脈が作り出されているのか、といった問題の探求などが挙げられる。
また、女性の著作を取り入れることで従来の文学、例えば、世界文学のキャノンに対する見方がどのように変わるかをできるだけ正確に検討する流れを作り出したい。
邵 丹(Dan Shao)
1985年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(DC2)、名古屋外国語大学教養教育推進センター専任講師を経て、現在、東京外国語大学世界言語社会教育センター専任講師。 論文「第三の次元に属する現代語 『対話』としての世界文学」(『ユリイカ』2022年8月号所収)など。
『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳──藤本和子、村上春樹、SF小説家と複数の訳者たち』
邵 丹[著]
松柏社[刊]
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