原作において性病罹患を検査する病院で、「胸をはだけ、太ももをムキ出しにしたほしいままな姿態と──そして社会を呪い、男性をさげすみ、刹那の享楽を語る彼女達の言葉──それらが交錯して、野性と、底抜けの楽天性から来る一種溌溂とした雰囲気」のなかで唄い出す娼婦たちの場面は、まさにミュージカルの異様なコーラスを想起させた。
この「女性の祭典」が、どれほどの抑圧とそれへの反発を、救いもなく繰り返さざるをえない刹那的なものであるかを、現代のミュージカルはどこまで伝えることができたのだろうか。題材と原作とジャンル形式のミスマッチはある程度予想していたが、絶望のミュージカルをどこかで期待していたわたしにとっては、やはり生煮え感が残った。
ミュージカル版でもう一つ興味深いのは、「夜の男たち」の描写が新しく加えられていた点だ。ヒロイン房子の戦死した夫、おぼこ娘をかどわかす不良、病院の院長、そして房子とその妹をたぶらかす成金...。
三役を演じた北村有起哉は狂言回しのバランサーとして安定感があったし、ポン引きを演じた前田旺志郎の狡猾な演技も秀逸だった。彼らの物語は映画では後景に退いているが、原作シナリオでは前景化されていた。ミュージカル版は「夜の男たち」を復活させたのだ。
わけても私の目を引いたのは、二人のヒロインを堕落させるクズ男・栗山謙三を演じた大東駿介である。原作によると栗山は、かつては女子挺身隊を率いる厚生課長を勤めていたが、戦後は闇屋に転落し、酒と女と麻薬に溺れる日々を送っている。
原作の栗山は、「モヒ中毒特有の弛緩した表情で涎を垂ら」し、「薬効のエクスタシーで口を半開きにし、虚笑を泛べ、瞳孔は開き、痴呆的な表情」とややグロテスクに描かれている。
姉妹ともども手籠めにされたことに気づいた房子から「卑劣漢」「けだもの」「豚みたいな男」「肉の塊り」と呼ばれ、それ以後、栗山は登場しない。ここから房子の、男の利己心への反逆という名の転落が始まる。
大東駿介といえば、昨年のテレビドラマ『うきわ──友達以上、不倫未満』で、妻(門脇麦)を裏切る不倫夫役を思い出す。
その無責任きわまりない言動、軽薄な目つきやだらしのない口もと、浅はかな態度と身振り、どれをとっても大東の身体性は絶品のクズ男を表象していた。
人として模範から外れているのに、クズ男としては模範という語義矛盾を来しているが、そのクズっぷりは見事としか言いようがなかった。
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