アステイオン

美術史

日本人が持つ「中世ドイツ」のイメージを塗り替える、世界遺産コルヴァイ修道院

2022年07月11日(月)07時53分
安藤さやか(東京藝術大学専門研究員)

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[図3]スキュレーは6つの頭と12本の足をもつ海の怪獣で、その棲家に船が近づくと船乗りたちを喰らう。セイレーンは下半身が鳥の形をした海の怪物で、歌声で船乗りたちを魅了する。Photo : Sayaka Ando

ホメロスの『オデュッセイア』では、オデュッセウスはスキュレーと戦ってはいないが、コルヴァイの壁画ではオデュッセウスはスキュレーの腹部に槍を突き刺している。つまりここでは、修道士らの観想のために、恐怖や誘惑に対する克己の象徴として、オデュッセウスと海の怪獣たちの物語が、キリスト教的に解釈されて描かれているのである。[図3]

失われた壁画を求めて

西構え2階の正方形広間の壁画は大部分が現存しないため、聖堂完成当初の姿はわからない。美術史家マティアス・エクスナーは、2020年に刊行された国際会議の報告集の中で、クラウセンらの研究成果をふまえて新たな考察を加えている。

エクスナーは、当修道院聖堂と同時代の聖堂壁画や書物の挿絵を手がかりに、失われた壁画には殉教者と聖女、預言者、使徒、天使が描かれていたのではないかという仮説を立てた。ヨーロッパ初期中世の壁画に関してめざましい業績を残しただけではなく、書物の挿絵にも深く精通した研究者ならではの仕事である。

エクスナーが2020年に急逝したためにこの論文が彼の絶筆となったが、失われた壁画についての彼の再構成の仮説は、今後、後継の研究者らによって検証されていくだろう。

かつてのコルヴァイ修道院をとりまく初期中世の街並みは、現在では目にすることができない。しかし、2023年に同地で開催される庭園博を機に、コルヴァイ修道院の庭園の再現と考古学公園の整備が計画され、さらにはヴァーチャル技術を用いて来場者が中世の生活を仮想的に体験できるプロジェクトも考案されているという。

研究者らによる長年の成果は、こうしてツーリズムを通して広く周知され、訪れるものにとっての「中世ドイツ」のイメージを、少しずつ塗り替えていくことになるだろう。

[注]
(※1)EXNER, Matthias, The Contribution of Wall Painting to Corvey's Outstanding Universal Value, in: Neue Technologien zur Vermittlung von Welterbe, ed. by STIEGMANN, Christoph, Dresden: ICOMOS, 2020, pp. 188-207.


安藤さやか(Sayaka Ando)
1984年愛知県生まれ。東京藝術大学美術研究科博士後期課程修了(博士[美術])。現在、同大学専門研究員、上智大学非常勤講師。専門はヨーロッパ初期中世美術史、特に、カロリング朝期の彩飾写本。「水に集うものたち:西欧初期中世に於ける『生命の泉』の表象をめぐって」にて、サントリー文化財団2017年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。


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Die Klosterkirche Corvey Band 2: Wandmalerei und Stuck aus karolingischer Zeit』 (コルヴァイ修道院──カロリング朝時代の壁画とストゥッコ)
Hilde Claussen & Anna Skriver (Author) / Zabern Philipp Von Gmbh

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