自由で公正な選挙は民主主義の全てではないが、その根幹をなす重要要素だ。今日、選挙に対する信頼は、民主主義そのものへの信頼を形成する――とはいえないまでも、少なくとも選挙への不信は民主主義への不信に直結する。
そして、自由で公正な選挙は自由民主体制と専制体制を分かつメルクマールの一つである。中国やロシアといった権威主義国家もまた「民主主義」にラブコールを送るが、「選挙」についてはそうではない。
米国で民主主義サミットが開催される直前の2021年11月、駐米ロシア大使と中国大使が連名で『ナショナル・インタレスト』誌に寄稿した。両大使は中露が民主主義国家だと強調しているが、選挙についてはほとんど触れていない。
かつて王毅国務委員・外相が「民主主義は全世界で同じ味のコカ・コーラではない」と論じたように、両大使は「民主主義には様々な実現方法があり、どの国にも最適なモデルはない」と主張する(なお実際には、コカ・コーラの味は世界各国で調整されている)。
最近、中国はその政治体制を「全過程人民民主」と呼ぶ。選挙の位置づけは明らかではないが、「全過程人民民主」が過去の民主主義政治理論の発展形だとすると、選挙への関心は薄い。
10年以上前、中国共産党は独自の民主主義理論を展開した。中国共産党の理解では、民主主義は「選挙民主(electoral democracy)」と「協商民主(deliberative democracy)」に大別され、中国共産党は「協商民主」を採用する。
「選挙民主」は勝者総取りの状況が頻繁に出現し、社会の複雑な利害を調整できていないが、「協商民主」では熟議を通じて、個別利益の中の共通利益を見出すことができるという。
自由で公正な選挙が行われること、投票行動の前提として有権者が政治争点や社会問題に関する情報を得て、自由闊達に議論できることは民主主義にとって不可欠だ。何よりも、これらが維持されているという信頼・感覚が重要である。
選挙や民主主義への信頼を切り崩すために、攻撃者は投票結果を操作・改ざんする必要はない。一定数の市民・有権者が民主主義のプロセス──これまでの公の議論や選挙過程──が外国から干渉されたかもしれないと疑うだけで十分なのだ。
そして直近の選挙干渉では、既に顕在化している社会問題や政治争点が悪用されてきた。
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