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キエフの親ヨーロッパ派の抗議活動(ユーロマイダン運動)、ロシアによるクリミア併合、そしてドンバス地方(ドネツク、ルガンスク両洲)東部で続く戦争によって、ウクライナという国そのもの、そしてその対ロ関係、内部分裂やアイデンティティのあり方は、世界から注目を集めることになった。
国際メディアや世界の学界の言説では、ウクライナはロシアと西側諸国との単なる戦場として描かれている。
だが、そのようにウクライナを描くと、ウクライナの現在の状況をもたらしたウクライナ自身の歴史への考え方を無視することになり、ヨーロッパで現在起こっている暴力的危機の複雑さを深く分析することが出来なくなってしまう。
ソ連崩壊後のウクライナは「国民国家へと変容しつつある国家」、「脱植民地化された国家」、あるいは「文明の分裂した社会」として概念化されてきた。こうした本質主義的な説明では、ウクライナにおける、きわめて興味深い広範な社会の姿がぼやけてしまう。
たとえば、ポストソ連時代におけるアイデンティティ形成(それにはウクライナの市民的・政治的アイデンティティの出現も含まれる)のダイナミクスや、それをめぐる論争がある。
また、都市と村落との言語習慣の相違もある。ロシア語を使用する集団(しばしば誤って単に「ロシア人」として描かれてしまうのだが)の内部の政治的・文化的態度の豊かな多様性もある。そして、一般に「東ウクライナ」、「西ウクライナ」という概念があるが、そのなかでも様々な地域独自の記憶がある。
本稿では、上述した諸側面に触れるとともに、歴史や言語の問題に関する公的なコンセンサスがないことが、多元主義的な諸要素の保持にいかに役立ってきたか、そして、複数の歴史的記憶が存在し、少なくとも4種類の教会(カトリック教会と3つの正教会)が「国民の教会」を自認し、2言語が存在する(ただし両者を隔てる明確な地理的な境界線がない)国家の安定化要因として、コンセンサスの欠如がいかに役立ってきたかを明らかにしよう。
さらに、ポストソ連時代のウクライナでの統合と分裂のダイナミクス、ならびに、ウクライナ・ロシア関係、およびロシアの対ウクライナ政策にとって、そのダイナミクスがいかに重要であったかを論じる。
vol.100
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