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考古学

三島由紀夫が「一大奇書」と言ったマヤの聖典『ポポル・ヴフ』──コロナ禍で読む意義

2022年04月28日(木)16時00分
鈴木真太郎(岡山大学文明動態学研究所教授)

ポポル・ヴフの警鐘

疫禍はすでに2年以上にわたって続いており、実際、コロナ禍以前とその後とでは、世界は大きく変わってしまった。マヤ文明の主な舞台であるグアテマラを含め、外国全般は以前よりも遥かに遠くなってしまい、かつて週末の午後の楽しみだった海外の旅番組はほとんど見られなくなった。

筆者を外国の考古学、古代マヤの沼に引きずり込んだTBS系『世界ふしぎ発見』でも、海外の古代遺跡などにまつわるふしぎトピックが新たに扱われることはとても少なくなったように思う。

筆者自身も2020年2月に一度滑り込みで現地調査に渡航して以来、もう2年以上、マヤの大地に足を運ぶことができていない。メキシコ、ホンジュラス、グアテマラに16年間暮らし、末席ながらも生涯の仕事としてマヤ考古学、マヤの古人骨研究を選んだにもかかわらず、である。

「ああ、たった2年前に我々が生きていたあの素晴らしい世界は、一体いつになったら戻ってくるのだろう」。多くの人々が常々抱いているであろう疑問を感じた時、筆者の中で敗者の物語『ポポル・ヴフ』と現在のコロナ禍が不思議にリンクした。

中央アメリカ一帯(メソアメリカ)の諸文明を征服したスペイン人征服者たちは、当地に存在したさまざまな勢力間の不協和音を巧みに突き、国々を滅し、数千年の歴史を持つ文化を破壊し蹂躙した。

マヤ文明もしかり。征服者ペドロ・デ・アルバラードはグアテマラの高地マヤを征服した際、当時の2大勢力であったキチェ王国とカクチケル王国の間の諍いを利用している。無意味な妄想かもしれないが、もしもキチェとカクチケルが最初から敵の本質に気づき、団結して迎撃をしていれば我々の知る『ポポル・ヴフ』は大きく異なった物語になっていた可能性もある。

そして、今、私たち人類は、突然のスペイン侵略にさらされた16世紀初頭のメソアメリカのように、新型コロナウィルスという残酷で無法な敵に直面している。マヤ王国さながら、社会が分断されていては、戦いの結末も危ういだろう。

医療従事者や感染者への偏見や差別、給付金等をめぐる詐欺事件、コロナストレスによる家庭内暴力や児童虐待の増大、疫禍をめぐっては多くの社会問題や犯罪が起きている。このままではかつての自由な日々が戻ってくるまで相当な時間を要するかもしれない。あるいはもう戻ってこないかもしれない。

「意見や立場の違いによる分断を乗り越えろ。」
「他人を慮る当たり前の善良さを思い出し、一致団結してこの難局に当たれ。」

かの三島由紀夫をして「一大奇書」と言わしめた『ポポル・ヴフ』。そこに踊る「怪奇」的で「煩雑」な古代マヤの物語を一人読んでいると、16世紀の敗者の記憶が21世紀の我々にそんなことを語りかけている。そういう気がしたのである。

[参考文献]
『マヤ神話 ポポル・ヴフ』A.レシーノス[訳]、林家永吉[訳](中公文庫、2016年)
大越翼「『ポポル・ウーフ』と先住民文書の世界――植民地時代を生き抜く叡智」桜井三枝子編『グアテマラを知るための67章【第2版】』(明石書店、2018年)117-120頁。

鈴木真太郎(Shintaro Suzuki)
メキシコ国立自治大学哲文学部メソアメリカ学博士課程修了。グアテマラ、デルバジェ大学考古学人類学研究センター准教授、岡山大学大学院社会文化科学研究科講師などを経て、現職。専門は古代マヤの考古人骨研究(バイオアーキオロジー)。主著に『古代マヤ文明――栄華と衰亡の3000年』(中公新書)がある。


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マヤ神話 ポポル・ヴフ
 A・レシーノス (翻訳)、林屋 永吉 (翻訳)
 中央公論新社

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