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※第2回:ウクライナ史に登場した「ふたつのウクライナ」とは何か――ウクライナ・アイデンティティ(中) より続く
クリミアの併合の説明のなかで、クレムリンは「歴史的な権利」(半島は18世紀末にはじめてロシアが征服しただけではあるが)と「同胞の保護」(同胞とは、ロシアの外でロシア語を話す人々を指すのに通常使われる言葉に過ぎないが)といった論拠を持ち出した。
ドンバスへの介入以前、プーチン大統領は公に、現在ウクライナ南東部の領土を指す名前である「ノヴォロシア」(新しいロシア)について話した。
ジェイムズ・シャー(James Sherr)が指摘するように、ロシアは自らの安全保障と近隣諸国の主権の制限を結び付け、国外の「同胞」を政治の道具にしているかのようである(3)。
イエルク・フォルブリック(Joerg Forbrig)によれば、旧ソ連諸国がモスクワの希望と異なる国内の政治モデル、あるいは国外での協力関係を選択するとなれば、ロシアの介入主義戦略はあらゆる旧ソ連諸国に干渉できることになってしまう(注4)。
なぜウクライナはロシアの政治とロシアの公的意識にそれほどまでに重要なのだろうか。プーチン大統領は何度も、ロシア人とウクライナ人が実質的には「ひとつの国民(ネイション)」であると述べている。
この主張は19世紀の「大ロシア国民」をめぐる議論の繰り返しである。歴史をたどれば、かなり古くまで遡ることになる。
というのも、キエフ・ルーシのウラジーミル大公が988年に正教の洗礼を受けた場所がウクライナのキエフであることから、ロシア正教会で広まっている精神的な「ロシア世界」の理念にとって、ウクライナおよびキエフは中心的な場所なのである。
プーチン大統領による主張やロシアの公式の考えは、ソ連崩壊後のロシアが新しい非帝国的なアイデンティティの在り方を見つけかねているということで説明がつく。
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