ソ連崩壊後の20年間、ウクライナは政治、宗教、もしくは経済紛争の解決に際して、物理的暴力を回避してきた。
記憶や言語などの問題について、単一の公的で国民的コンセンサスが欠如していたことは分裂の契機というより、広範な多様性という特徴をもった国家における安定化要因であった。
コンセンサスの欠如が社会紛争を回避させる曖昧さを維持するとともに、ひとつの、あるいは別の政治勢力を利するような公的領域の単一化を妨げてきたのである。
2014年1月22日まで、大衆による抗議やデモでは、誰一人、殺害されることはなかった。ヤヌコーヴィチ体制とロシアのウクライナ東部への介入がもたらした暴力的な苦しみのために、政治的問題を非暴力で解決するウクライナの伝統が荒廃し、ソ連崩壊後のウクライナの多様性を許容する社会規範や世論に疑問符が付いた。
プーチンは、ロシア語を話すことが自動的に「ノヴォロシア」の計画への政治的忠誠心を意味すると考え、ウクライナ・ロシアの言語的、文化的共存の性質を誤解したように思える。
同時に、ロシアの介入と継続する戦争がウクライナに政治的な意味での国民(ネイション)の形成をいっそう促すことになった。
また、ウクライナは文化的統一体としては存在していないとする、決まったように繰り返されてきた理論は、現在のウクライナをチェコ・スロバキアのように2つの(あるいはそれ以上の)地域に平和的に分割可能なものとして誤って描いてしまう、ということが明らかになった。
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